エンタメ消化器官

様々なエンタメ作品に対する個人的な感想

映画『死刑にいたる病』を観ました。

映画冒頭のイメージ


作品名:死刑にいたる病
鑑賞した日:2022/5/30

前半は極力ネタバレ無し、後半はネタバレ有りで書いていきます。
※前情報ゼロで作品を楽しみたい方は、ここから先は読まないようにして下さい。

 

あらすじ

大学生の筧井雅也(かけいまさや)は、理想からかけ離れた日々を送っていた。
ある日、彼の元に一通の手紙が届く。差出人は榛村大和(はいむらやまと)。雅也が中学生時代によく通っていたパン屋の店主。そして、24人をも手にかけた連続殺人鬼。なぜ自分に手紙を? 気になった雅也は獄中にいる榛村に面会しに行くことにした。

 

面会室のアクリル板越しに自分を呼んだ理由を尋ねる雅也。榛村は、「23件については罪を認めるが、最後の1件、24件目だけは自分ではない」と訴えた。「捕まえてすぐ首を絞めて殺すなんて、自分はそんなつまらないことはしない。それに彼女は自分の好みのタイプからも外れている」と。榛村が雅也を呼んだのは、古い知り合い、かつ法学部に進学した雅也に、24件目の冤罪証明を依頼するためだった。当該の事件に違和感を覚えた雅也は依頼を受け入れ、手掛かりを求めて関係者に話を聞いて回る。

しかし雅也にとって予想外の事実が判明し、次第に榛村に影響されていく。

 

24件目は本当に冤罪なのか。
冤罪だとしたら真犯人は誰なのか。
「死刑にいたる病」とは何を意味するのか。
明かされる真実とは……

siy-movie.com

 

感想

大変よかったです。
心理描写の映像演出が凝っているところや、音の使い方が巧みで、緊迫感が続く中にもメリハリがありました。そして、なんと言っても阿部サダヲさんの演技がたまらなかったです。ただ、グロテスクな映像が苦手な人にはちょっとキツいかもしれないです。
以下に詳細をまとめます。

 

目が真っ黒のサダちゃん最高

「この瞳に踏み入れると、沼」と、CMで流れていましたが、まさに、です。光を一切反射しない瞳、最高でした。一見、清潔感があって人の良さそうな空気を纏っているのに、話が進むにつれてどんどん不気味さが際立っていきます。拷問を行うシーンでも変にニヤニヤしたりせず、観察するような表情だったのがたまりませんでした。

 

余談ですが、こういう役を演じる方は、「魅力的」、「異常」というワードに引っ張られるのか、日常シーンでも変にゆったりとした口調になったり、痛めつけるシーンでニヤニヤし過ぎたりする役者さんが結構いらっしゃるイメージがあります。もちろんそれでいい時もあるにはあるのですが、私個人としてはあまり好きじゃないです。『死刑にいたる病』では、普段は至って普通の、なんなら普通以上に善い人でありながらも、裏では飄々と事を楽しんでいる異常性が見事に表現されていたと思います。

 

現在放送中のドラマ『空白を満たしなさい』でも、阿部サダヲさんはサイコパス系のキャラクターを演じていますが、全く違う方向性の異常さを表現されていて、本当にもう最高です。ドラマもぜひお楽しみください。

www.nhk.jp

 

心理描写の妙

重要なシーンでの映像演出が面白いです。
物理的に隔てられていても確実に心を通わせている、今彼は考えを見透かされている、というようなことが視覚的に伝わってきます。わざとらしいと感じる人もいるかも知れませんが、私は好きでした。

 

グロテスクから逃げない

榛村は24人も殺しているので、シーンとして盛り込まないわけにはいかないですよね。詳細は書きませんが、とにかく痛そうでした……
監督は『孤狼の血』シリーズの白石和彌さん。『孤狼の血』でも、結構エグいシーンがあったと思うので、そういうシーンを撮るの得意なんだろうな……


まとめるに当たって調べるまであまり気にしてなかったけど、あれでPG12なんですね。 指定されてるからには大丈夫……なんだよね……? 結構ハードだぞ?

※PG12→年齢制限区分の一つ。小学生以下(12歳未満)の子供が視聴する場合、保護者の助言、指導が必要となる。

 

 

ここまでは極力ネタバレを避けながら、感想をまとめました。ここから先はネタバレを含めながら感想をまとめていきますので、まだ観ていない、知りたくない、という方は、以下は読まずに作品をお楽しみ下さい。

 


※ここから先はネタバレを含みます※

 

 

感想の追記

映像演出

面会室でアクリル板越しに話しているのにも関わらず、手を握ったりそばに立っていることで心の近さを表現したり、アクリル板に反射した榛村の顔が雅也の顔と重なることで、雅也も榛村に洗脳され始めていることを表現するなど、視覚的な工夫が数多く見られます。そういうの、好き。

 

結局、24件目の真犯人は誰?

私の中では、「はっきりしない」というのが結論です。
十中八九、真犯人は榛村なんじゃないかと思われますが、白黒どちらも、それを指し示すような証拠は物語の中には出てきません。金山の告白が真相であると裏付けるものもなく、榛村も、「本当は自分がやった」とは明言していません。また、雅也が出した結論はあくまで彼の推測であり、こちらも証拠がないため、推測の域を出ないことになります。「榛村が真犯人である」とも、「真犯人でない」とも言い切ることが出来ないため、結局どっちなんだろう、と考えを巡らせることになる作品でした。そして、それをぐるぐると考えることも「病」に含まれているのかもな、と思っています。

 

題名の「病」とは

映画版における私が感じた「病」は、「誰もが特別になりたがっていること」、「榛村に影響され、自分の何かが変化すること」でした。

 

前者について。もしかしたら自分は誰もが知るあの連続殺人鬼の息子かもしれない、そのことに戸惑いながらも間違いなく期待していた雅也。良くも悪くも、普通から外れることは恐れもありますが優越感があるものです。そして、なりたくてなれるものでもない。無意識に誰もが選ばれし特別な人間になりたがっている。それ故に冷静さと客観性を失い、過ちを犯すこともある。そういった意味での「病」かな、と思いました。

 

そして後者について。榛村は関わった人間の人格に何らかの歪みを生じさせています。自分の父親が榛村だとしたら自分も人を殺せるかもしれないと、本当に人を殺しかけた雅也。榛村に相談し、生まれてすぐに死んでしまった我が子を焼却処分すると決めた雅也の母。痛い目に遭いたくない、榛村から見捨てられたくない、と彫刻刀とカッターナイフを手に傷付け合った金山兄弟。「好きな人の身体の一部を持っていたいという気持ちが解る」と言った灯里。榛村に関わると心を病む。このことも題名の「病」に含まれていると思います。

 

お気に入りのシーン※順不同

悲鳴すら音響効果に

土砂降りの山中、手足は折られて肉をえぐられ、右手首は今にも千切れそうな状態になりながらも、必死に犯人から逃れようと泥の中を這いずる被害者の女性、根津かおる。目の前の木に手をかけるも両足を掴まれ引きずり戻されてしまいます。この辺りで音が徐々にフェードアウトし、無音になった後、女性の悲鳴が、悲鳴の途中から響くというシーン。恐ろし過ぎて痺れました。こんな演出の方法があるんだと感動しました。

 

無機質に人を傷付ける

「今日はどっちが痛い遊びをしてくれるのかな」という榛村の問いに、金山兄弟が揃ってお互いを指差し合います。そして、金山が弟の太ももに彫刻刀をなんの躊躇もなく刺すシーン、怖過ぎです。
信頼、依存、恐怖がそろえば、たとえ赤の他人からの命令でも血の繋がった家族に躊躇なく危害を加えられるという精神状態。とても想像し難いです。

 

原作と映画の違い

映画を観た後に原作を読んでみました。
映画では、雅也が24件目の事件を追うことをメインに、結果的に榛村の過去を追う、雅也の母親と榛村の関係を知る、榛村に影響され本当に人を殺しかける、など、割とテンポ良く展開が訪れるのに対し、原作はどちらかというと、榛村の生い立ちや人となりなどのバックグラウンドにフォーカスされ、榛村と関わりのあった人物達へインタビューをしていくような形で物語が進みます。
それはそれで面白かったのですが、展開があまり感じられず、エンターテインメント性は映画のほうが濃縮されていたかなと思います。
金山のキャラクターデザイン(特に見た目)が大きく違うことと、ラストシーン以外は、映画も原作も物語の道筋は概ね同じなので、個人的にはどっちが先でもそんなに変わらないかなと思います。それぞれのキャラクターをより知ってから映画を観たい場合は原作が先、何も知らずにとりあえず観たい、ちょっと意外なオチが観たい、という場合は映画が先、かなぁ。

 

原作についても別途記事を書こうかな、と思っているので、詳しい感想などはそちらでまとめたいと思います。

 

以上、映画『死刑にいたる病』の感想でした。
興味を持った方は、ぜひ劇場へ。

上映期間は残りわずかかと思われますので、ソフト化を待つのも手です。