エンタメ消化器官

様々なエンタメ作品に対する個人的な感想

映画『哀れなるものたち』を観ました。

鑑賞日:2024/2/23

作品名:哀れなるものたち

 

※ネタバレをいとわない形で書いています。未鑑賞の方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

 

あらすじ

天才外科医によって蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る。時代の偏見から解き放たれ、平等と解放を知ったベラは驚くべき成長を遂げる。
天才監督ヨルゴス・ランティモスエマ・ストーンほか、超豪華キャストが未体験の驚きで世界を満たす最新作。

引用:下記サイトより

www.searchlightpictures.jp

 

概要

映画館(字幕)にて鑑賞。

全編2時間21分(141分)と、そこそこ長め。

R18+。

原作があるようですが、それすら知らない状態で鑑賞。

 

R18とはいえ、性描写のシーン入れ過ぎでは……

そういうシーンが苦手な人は注意が必要です。

想像の3倍はシてると思ったほうがいい←
どれも煽情的な映像とは言い難いと思うので、エロの文脈で採用しているわけではないんだろうな、ということは伝わります。ただシュールというかなんというか……

それとグロテスクなシーンもあるにはあるので、そこも注意が必要です。

 

肝心の内容は、私には難しくてよく解らなかったかも……?

解釈間違ってるかも……?

というのが正直な感想です。

 

シンプルにまとめると、「他者によって異常な方法で無理やり誕生させられた一人の人間が自立するまでの成長譚」という感じでしょうか。

 

とはいえ、いろいろ思うところはあったので、整理していきたいと思います。

 

感想

演出面の私的な解釈

身体は大人で頭脳は幼児状態の時代は白黒映像で、"冒険"に出て初めて性行為をするシーンでカラー映像に切り替わります。また、冒頭の身投げをするシーンでもカラー映像でした。この表現は「ベラ(ヴィクトリア)が幸せかどうか」ではなく、「自分の意思で何かを実行出来ている状態」、「人生の決定権を自身が持っているとベラ(ヴィクトリア)が思えている状態」を表しているのかなと思いました。

 

「ベラから見た世界の色を表している」というのもあるかもしれませんが、それだと身投げした時も白黒じゃないとおかしいような気がしてしまいます。

加えて、登場人物とは関係のない第三者目線のカメラワークが挟まれることがあり、キャラクターと観客の間に何か距離を設けているように感じました。そのため、映像の色切り替えは、ベラの心情を理解する上での情報の補足でしかないのかも、とも思いました。

 

なので、私の中では「この作品はあくまでベラたちの物語であって、観客のあなたはそれを覗き見しているに過ぎず、これらの演出はただ手掛かりを与えているだけ」という解釈になりました。

 

ベラの人生は幸せと言っていいのかどうか

道中がどうであれ、ベラにとってはどんなことも貴重な体験で、それらを経験したからこそ成長し、自立する術を身につけた、というふうに捉えられると思います。表面上は。
もちろん、ベラにとっては間違いなく成長と自立の旅だったでしょうし、最終的には幸せになれたのではないかと思います。

未知の世界に触れることで、あらゆることをどんどん学習し、吸収していく姿は、確かに前向きな気持ちにさせてくれる部分もありました。


しかし、第三者から、少なくとも私からベラの人生を見た場合、彼女が自立するまでの道中は、地獄そのものに見えてしまいました。

 

地獄の始まり

ヴィクトリア(のちのベラ)は、"モンスター"とまで思っていた自分の胎児の脳を移植され、肉体だけとはいえ無理やり生き返らせられました。ヴィクトリアは死にたかったのに死ねなかった。死んですら実験体にされてしまいました。「自らの意志で死ぬ自由」すら奪われたということです。そこには当然、彼女の意志を尊重する気持ちなど存在しません。

ゴッドとしては「妊婦のフレッシュな死体を偶然見つけちゃった、自分の研究に使っちゃお、ラッキー」ぐらいの気持ちではないでしょうか。

 

箱庭

大きな赤ちゃん状態のベラは、外の世界をほとんど知ることなく、いわゆる箱庭の中で暮らしていました。これは「保護されていた」とも言えますが、「支配されていた」とも言えます。「あらゆる危険からベラを守るため」というのもあるとは思いますが、それよりも、ゴッドの「自分の行いと研究を秘匿するため」のほうが動機としては大きかったのではないでしょうか。

また、この時点のベラには、善悪、倫理観、人間の尊厳、性に関すること等、作中で言うところの"社会的良識"は一切教えられていないであろうことが窺えます。

 

これは単なる私の妄想ですが、ベラが「外へ行きたい」と言い出さなかった場合、またはその意思を無視した場合、ゴッドは自分にとっての理想的な環境で"社会的良識"を教えないままベラの脳が大人になるまで育てるつもりだったのではないでしょうか。そして、そういう環境で育った人間がどんな人間になるのかを、蘇生技術と共に自分の成果物として発表するつもりだったのではないでしょうか。

私だったら、自分の親から「あなたは最高の実験体だ、あなたの人生は私の成果物だ」などと言われ、「自分の人生の歩み」や「出自」について発表されることになったら、正気でいられそうにありません。婚約者であるマックスはおそらくその実験には加担しないでしょうから、あくまで妄想ですが。

 

結局ゴッドは、いつの間にか芽生えてしまっていた親心から、ベラを外に送り出すことにしました。しかし自分の死期が近いと知ると、また別の実験体を見つけだし、同じ行為を繰り返します。科学者としての性(さが)と言われればそれまでですが、それは誰かの命を自分の好き勝手にしていい理由にはなりません。単なる身勝手です。というか、似たような状態の死体をよく見つけられたよね←

 

新しい実験体を手に入れ、研究を完成させたいと、感情を捨てて冷酷な科学者になろうとしたゴッド。ですが、結局ゴッドは自分の死や研究どうこうよりも、娘同然のベラが出て行ってしまった寂しさに耐えられなかっただけではないでしょうか。娘の代わりを見つけてどうにか心の穴を埋めようとしてみたけど、やっぱりベラではないから愛着が湧かない、というような。どこまでも身勝手だな……

そんなんでも最期はベラに看取ってもらえたんだから良かったね←

 

旅立ち

無知で好奇心旺盛なベラは弁護士のダンカンにそそのかされ、一緒に"冒険"に出発し、初めての性行為に至りました。ベラが元から知的好奇心・性的好奇心が強いというのもありますが、相手が「身体目当ての男」ということが判らないまま、彼について行く選択をし、性行為がどういう行為なのかを理解しないまま(誰からも教わらないまま)、「幸せになれる」、「"熱烈ジャンプ"出来る」と、何度も繰り返しました。


「ベラの見た目は成人女性だし、ダンカンはベラの生い立ちについて説明を受けていないから、ベラの特性を知らなかっただけでは?」という考え方も出来なくはないでしょう。しかし、人としてベラと接していれば、マックスが気付くことが出来たように、彼女が世界のあらゆることに無知であるということには気付けたはずです。もちろん性のことについて無知であるということにも。

 

ダンカンは自分にとって都合の悪い部分について、わざと見て見ぬふりをし、"駆け落ち"という名目を使って、「自分の欲求を満たすためのオモチャ」としてベラを連れ出したのでしょう。「最初は遊んで捨てるつもりだった」とも言っていましたし。相手が無知のまま性行為に至らせることは罪深いことだと思います。彼の行いは、いわゆるグルーミング(※)にあたるのではないでしょうか。
※ 大人が子供を性的な目的で手懐ける行為のこと

 

社会的良識を身に付けるまで

美味しいタルト、音楽、アルコール、哲学、貧富の差など、ベラにとって心揺さぶられる学びはいろいろはありましたが、旅の途中でどうにもお金が必要になり娼婦をすることに。性行為が本来どういうものなのか、ベラはいまだに知らないままなのに、です。ベラの中には性行為に対して善も悪もないので、ほとんどフラットな精神で娼婦になったのでしょう。むしろ、「ちょっとの時間で性行為するだけでお金をもらえる」ぐらいの認識で。

 

しかし、娼館で働くようになり、性行為をすることで「悲しい気持ちになることがあっても」と口にしました。この辺りでようやく性行為によって生じる負の感情にも目が向き始めたのではないでしょうか。

それでも口答えをすれば娼館のマダムから制裁を受け、娼婦が産んだ赤ちゃんを見せられ言いくるめられ、自分なりに苦痛に耐える方法を試しながら仕事を続けることになります。

 

この場所では自分に選択権はないと突きつけられたことで、選ぶのはいつでも買う側で、買われる側の自分には「相手を選ぶ権利」も「拒否する権利」もないらしいと理解します。そうしてベラは「自立すること」、「自分が選択権を獲得するにはどうすればよいか」について考えるようになりました。

 

とはいえ、もっと違う道を辿ることで、この考えに至ることも出来たはずです。ベラは"冒険"に出た時から、自分の人生の全てを自分で選んできたつもりでいますが、実際は周りの人間に振り回された末、ここに至っています。しかし本人はそのことには気付いていません。この構図が私には結構な地獄に見えてしまいます。
もちろん性行為や娼婦という職業が悪いという意味ではありません。そこに至った過程に問題があるという意味です。

 

故郷へ

ベラはゴッドの死が近いと知り帰郷、自分の生まれの真実を知り、婚約者であるマックスと結婚しようとします。この辺りからベラは今の自分を受け入れ、自分に芽生えた意思と知性を尊重することを決意していく姿が描かれていました。医者になる夢をゴッドに告げたり、社会主義の集いに参加したり、解剖について学ぶ姿から、ベラの成長を感じられます。

 

しかし結婚式の際、ヴィクトリアの元夫であるアルフィーが現れます。ベラの身体が元々歩んでいた人生、ヴィクトリアの痕跡。なぜ、このタイミングで来てしまったのか。完全にダンカンの逆恨みです。

 

哀れなダンカン

ダンカンは、初めはベラを「簡単にコントロール出来る世間知らずのチョロい女」だと思い、ほんのお遊びのつもりで連れ出しました。しかし、ベラが自分の思い通りに行動してくれないことに腹を立て、むしろそこに魅力を感じ、本気になってしまいます。

ですが、ベラの気持ちが自分に向いていないと解ると酒とギャンブルに溺れ、しばらくベラに構いもしなくなりました。そんなベラの手によって彼は一文無しに。

うまくいかなくなった人生の全てをベラのせいにして、しつこく付きまとっては当たり散らしますが、ベラから暗に「私にお前はもう必要ない」と告げられたことで、精神疾患に陥り監禁(入院?)される身となりました。

確かに浅慮な善意からダンカンのお金を無断で人に渡してしまったのはベラですし、ベラにも悪い部分はあります。ですが、彼の所持品は彼が自分で管理すべき物なので、ベラを責めるのはお門違いです。そもそも彼女は善悪ですら学んでいる途中でした。

自分のことしか考えず、飲んだくれて眠っていた君が悪いと思う、ダンカン。

 

それと、これは劇場でのこと。ベラに相手にされなくなりダンカンが冷たくあしらわれているシーンが何度かありましたが、そこで笑いが起きていました。私には理解できない感覚でした。

彼の身に起きたことは全て自業自得ですし惨めな男ではありますが、酷く哀れでもあります。コメディとして観ることも出来るタイミングのシーンではありましたが、私には笑えませんでした。本気で失恋して、しかもその失恋相手に宥められながら悲しむ人を観て、何が可笑しかったんだろう……

 

とまあ、それは置いておいて、ベラはもう一人の自分、身体の主であったヴィクトリアの人生に興味を持ち、アルフィーについていってみることにしました。

 

「ヴィクトリアの気持ちが解った」

元々住んでいた家に行き、ヴィクトリアがどのような人だったのか、使用人にどんな態度を取っていたのか、夫であるアルフィーからどのように扱われていたかを知りました。

 

アルフィーも相当な地獄の作り手です。

「女性を子供を作る機械としか思っていない」の典型でした。気に入らないことがあればすぐに銃で相手を脅し、自分に服従させようとします。

ベラが娼婦をしていたことを知るとアルフィーは激怒。ベラを薬で眠らせ、彼女の性器を切除してしまおうと計画していました。これはベラを一人の人間ではなく、自分の所有物としてしか見ていない証拠です。

その企みに気付き、彼に詰め寄るベラ。銃を向けられクロロホルム入りのジンを飲むように脅されますが、ベラは強い意思を持ってこれを拒絶し、銃を奪い取って彼の足を撃ち抜きます。

私から見たベラの地獄はようやくここで終わりを迎えます。ですが、また別の不安要素が現れます。

 

ゴッドへの一歩

ベラはアルフィーを連れ帰りました。撃ち抜いた足をマックスに治療させ、ヤギの脳を入れることにします。庭の草を食べるだけになったアルフィーは元の人間よりはマシ、むしろ有益とすら思えます。

しかし、これはアルフィーの自由意志を奪ったということでもあり、ベラがゴッドたちと同じことをする人間になってしまったとも捉えられます。

 

そうしてベラは、医者になるための勉強や研究を行いながら、家族のような人たちとペット(?)たちと過ごす、という最後。
ハッピーエンドのように見えますが、このまま行くと彼女もゴッドのように実験体を探すようになってしまうのではないか、と思えてしまいました。

 

キャラクター全員が哀れなるもの

私から観ると、主要キャラクター全員が「哀れなるもの」でした。


科学者である父親から実験という名の虐待を受けた過去がありながら、その父親と同じ科学者として成功したいゴッド。

 

暴力的かつ支配的な夫の子を身籠り、恐らくあらゆる理由があって追い詰められ、自ら死を選んだにも関わらず、生き返らせられてしまったヴィクトリア。

 

成人女性の身体に胎児の脳を移植され、箱庭に閉じ込めて育てられ、自分の意志で"冒険"に出て自分で選んだ人生を歩んできたと思い込んでいたベラ。

 

ベラを心から愛しているものの想いが伝わり切らず、他の男と"冒険"に出て行かれてしまったマックス。

 

お遊びのつもりが、いつしか本気になってしまい破滅したダンカン。

 

恐怖で支配することでしか人と関われず、最後はヤギの脳を移植されたヴィクトリアの元夫アルフィー

 

二人目の実験体として生き返らせられてしまったフェリシティ。

 

タイトルの通り、「哀れなるものたち」の物語。

それでも、それぞれにいくらかの救いはあったのかな。

 

フェミニズム映画と評されることへの違和感

フェミニズム映画」と評する人もいるようですが、そうでしょうか。

私は特にフェミニズムに詳しいわけでもないので、口を挟むべきではないのかもしれませんが、その視点でこの映画を観た場合、「フェミニズム」という表現で合っているのかどうか、いささか疑問を感じます。

確かに、最終的にベラは、旅を経てあらゆることを学び吸収し、自分の意思で人生を歩み出しているので、その点を鑑みれば「フェミニズム映画」と言うことは出来るのかもしれません。


中には、「女性の性行為の自由について訴えている」という意見があり、これには強い違和感がありました。

というのも、この映画は6〜7割程度のシーンが性行為や性に関するシーンで占められている印象です。そして、性行為をしているのは、性に対して無知な状態のベラである場合がほとんどです。

 

仮にベラが、序盤から性に関する行為がどういうものなのかを理解しており、そのうえで、「自分の身体は自分のもので、自分の自由にしていい」という認識のもと、ダンカンについて行き、あらゆる男性と性的な行為をし、性の職に就き、ということであれば、「女性の性行為の自由について訴えている」というメッセージと捉えることも出来るのかもしれません。

 

しかし、ベラは終盤まで性行為に対して快感・不快感以外のほとんどを知らない状態です。妊娠するかもしれないこと、性病にかかるかもしれないこと、怪我をするかもしれないこと、自分の身体に触れることを相手に許すことにはどんな意味があるのか等、最低限知っておかないといけないことは様々あるでしょう。ですが、ベラはそれらを知らない状態のまま性行為をしていました。それはベラにとって本当に自由意志と言えるでしょうか。

 

おそらく娼館で出会った女友達、あるいは恋人にも見えましたが、彼女から社会主義の集いに誘われた辺りで、ようやく性に関する様々も学んだのではないかと推察します。それまでのベラにとっての性行為は、気持ちいいこと、面白いこと、興味深いこと、でも嫌なこともある、ぐらいの認識しかなかったのではないでしょうか。

そんな状態だったので「この作品は女性の性行為の自由について訴えている」という意見には私は全く賛同出来ませんでした。

 

他の方の感想で気付いたこと

「胎児の脳は男性とも女性とも判らない」と書いている方がいてハッとしました。確かに。私は完全に女性の脳だと思い込んで観ていました。というか、そもそも脳の性別がどうとか、そんな意識もなかったです。

仮にベラに移植された胎児の脳が男性の脳だとしたら、と考えてみましたが……

それでも道中は大して変わらないかもしれないな……?

 

むしろ「ベラの脳は男性の脳である」と言われたほうが、しっくりくるまであるような。ただ、そう感じてしまうのは「無意識な偏見」というやつだと思うので、この作品を観るにあたっては、あまり深く考え過ぎないほうがいいのかもしれません。

 

まとめ

映像はオシャレ。音楽も面白い。配色が美しい。衣装も奇抜。俳優陣の演技も素晴らしいし、苦労も相当しただろうと思います。なので、それらは評価されていいとは思います。実際、賞もたくさん獲っていますし。ただ、ストーリーに関しては……うーん……

 

私から観ると、この映画は、「一人の人間の成長譚」でもありますが、「性に関する地獄のストーリー」という側面も持っているように見えました。

なので、興味深いという意味では面白いとは思いますが、この映画を素直に賞賛することが出来ない、というのが正直な気持ちです。

 

作品にはいろんな見方があって、いろんな意見があっていいと思います。自分にとって良い悪い好き嫌い面白いつまらない、それこそ自由です。今回は考えることが多くてなんだか大変な映画でした。それが映画の面白いところでもあり、好きなところでもありますが。

 

以上、映画『哀れなるものたち』の感想でした。

 

 

おまけ

かなり偏った余談1

「(年齢差があろうが)本人がいいって言ってるんだからいいじゃないか」、「(相手が何歳だろうが)本人の意思を尊重しよう」みたいなことを言う人がいますが、私は一概に「いい」とは言えないと思っています。一方で、「状況による」とも思っています。

 

誰かを好きになること自体は、どういう関係性であれ自由だとは思います。

ただ、性行為に関しては、相手が何歳であれ、両方ともがそれに関してあらゆる知識を得ていて、責任能力(判断能力)があり、それらを踏まえたうえで、本人の決断かつお互いの合意がある、ということなら、それは自由意志だし、尊重されて然るべきだと思います。

ですが、そうでないのであれば、「それは本当に自由意志と言えますか?」という話で。「自分にとって都合の悪いことを隠したり、相手を騙したりしていませんか?」という話で。相手を本当に思いやるなら、あらゆる開示はしたほうがいいよね。

 

性行為に限らず、何も調べたりせず好奇心だけの「やってみたい」という動機しかない人に、リスクを伴うことも教えずに後押しする人はいないと思うのですが……

なんで恋愛とか性の話になるとハードルが下がっちゃうんでしょうね……

もちろんこれは、全く関係ない人間が口を挟んでいいことではないので、当事者同士&保護者たちでちゃんと話し合って完結してね、って感じですが。

 

かなり偏った余談2

これも性に関することとは限りませんが、いろいろあった末に、「そうは言っても自分で選んだんだから」なんてことを言う人がいますよね。

この映画で言うと、ベラの場合、自分が無知であることに気付けないまま性の仕事に就きました。そういう過程を辿っている場合、「自分で選んだ」とは言えないと、私は思います。

知性と理性を獲得したベラは、過去のことを後悔したり恥じたりしている様子はなかったように見えましたが、心の中は分かりません。罪悪感を持っている部分もあるかもしれないし、誇りに思う部分もあったりするかもしれません。

 

なんにせよ、「ああ、今自分はイヤなんだな」って気付いた時点で、逃げ出したり、誰かに助けを求めたりしてもいいし、「あの時、自分はイヤだったんだな」って、後悔したり、反省したり、落ち込んだりしてもいいに決まってる、って私は思ってます。

自分の人生の全てを肯定できる人って、そんなにはいないと思ってるので。

苦しんでいる最中に、無理に肯定を選ばせようとしてくる人は、私はあんまり信用できないです。それに、「あなたに私の何が解るのか」と思ってしまいます。

私はまず「自分は苦しんでるんだ」ってことを「苦しんでるんだね」って肯定してほしいです。「自分で選んだんだから、今を受け入れなよ」なんて言わないで、「別の道を探そう」とか「ちょっと休憩しよう」とか言ってほしいですね。

まあ、そんなことを言ってくる相手でさえ見極めなければいけないんですが←

 

かなり偏った余談3

「社会的良識なんてクソくらえ」という意見自体は、私も肯定したいところですが、それは社会的良識を身に付けたうえででしか言えないことだと思います。

「社会的良識を身に付けたうえで、クソくらえという振る舞いを自ら選択している状態」と、「社会的良識を知らないまま奔放に振る舞っている状態」とでは意味が違うので。

この映画の主人公であるベラは、ほとんどのシーンで後者ですよね。

なので、この映画の感想としては、その意見は違うかなと思いました。

 

とはいえ、自分に社会的良識が備わっているとは全く思えないから、その意見は一生掲げられないかもしれないけど←

 

かなり偏った余談4

主演のエマ・ストーン氏が映画の制作側でも関わっているというアピールが、私としてはあんまり印象よくないなと感じています……

新しい某アトラクション施設を作った人も「有能な女性社員が花魁のアトラクションを企画してくれて」みたいに言ってましたが、内容がどうであれ「性に関わるコンテンツだけど、女性からも意見をもらって制作してるから大丈夫」みたいな免罪符的な扱いに感じてしまったり、「私たちは男性ですが、女性の意見も聞き入れていますよ」みたいなポーズに見えてしまったりして、よく解らない心配をしてしまうという。でも、そういう謎の心配が女性の社会進出や権利獲得を邪魔しているのかも、とも思うし……

この感情をどうしたものかと、勝手にモヤモヤしています…… 

 

かなり偏った余談5

この映画のCMで「もし女性としての生き方を、一から選べたら?」とか言ってましたが、その紹介の仕方で大丈夫なのかな、とか。

「女性としての生き方を選んでる」って言えるのかな、この映画。

確かに好奇心のままに生きてるし、自由だったとは思うけど。

映画を観る前にテレビでこのCMを観てしまい、その時点で「そんな宣伝文句で大丈夫か?」となってたし、観た後も、やっぱり私にはしっくりこなかったです←

 

おわり。

ゲーム『Ghostwire: Tokyo』をプレイしました。

プレイした日:2024/1/22〜2/15ぐらい(約25日間)

作品名:Ghostwire: Tokyo(ゴーストワイヤートウキョウ)
開発元:Tango Gameworks
発売元:ベセスダ・ソフトワークス
プレイしたハード:PS5

 

※ネタバレをいとわない形で書いていきます。未プレイで中身を知りたくない方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

 

あらすじ

謎の般若面の人物によって引き起こされた大規模な超常現象により、東京の人々は一瞬にして消失してしまった。Ghostwire: Tokyoの世界でプレイヤーは、謎の復讐者と手を組み、強力な能力の数々を習得しつつ、未知と対峙し、大規模人体消失の裏に潜む真実を暴いていく。

 

引用:下記サイトより

bethesda.net

 

概要

ノーマルモードでクリア。

寄り道しまくって78時間ぐらいでストーリークリアしました。

ストーリークリアだけなら多分40時間もかからないぐらいだと思います。

クリア後の探索・アイテム収集などの時間も合わせると100時間ぐらいはプレイしました。

 

CERO:C(15才以上対象)なので、学生さん向けでもあるのかな。ホラーゲーム初心者とか、オープンワールド初心者とかにはちょうどいいのかもしれないです。

 

なんちゃって渋谷観光オープンワールド風ライトホラーFPSゲームといった感じでした。確かに街の作り込みはすごいと思いますが、現実の渋谷と違うところは多いんじゃないかと思います。

 

ゲームとしては、オープンワールド風のテンプレシステムに、渋谷の街並みと和のテイストを乗せた感じのもので、目新しいゲーム体験ができるような作品ではなかったです。どれもこれも見たことのある要素で、それらを継ぎ接ぎしただけな感じに見えてしまいました。ホラー要素もありますがほぼ怖くないです。作るのが大変なのは重々承知しているつもりではありますが、やはり不満点のほうが多く感じてしまいました。

 

感想

コントローラーからの声

主人公(伊月 暁人(いづき あきと))の死体を乗っ取り損ねた霊が右手に宿り相棒(KK)になるという設定で、コントローラー側から相棒の声が聞こえる演出は臨場感があってよかったです。

とはいえ、通常の会話や、仲が良い時の会話は楽しいですが、相棒の意にそぐわないことがあった時に文句を言われるのは結構イライラしました。

例えば、バトル中に攻撃に当たった際、「避けられないなら守りを固めろ!」と言われたり、目的地と違うほうへ行こうとした際、「あの幽霊を追うんじゃなかったのか?」と言われたり、間違って霧のダメージゾーンに入ると「それ以上入るな!死にたいのか!」みたいに怒られるんですよね。その度に「いちいちうっせぇな……勝手に乗っ取ろうとしてきたのお前のほうだろ、文句を言われる筋合いは無いと思うが?」みたいになってました。好きにさせてくれ……

 

ストーリーについて

かなり薄味で引きが弱く、フックになる部分が浅いために、「早く本編を進めたい!」という気持ちになれませんでした。よくある話の骨組みで、残念ながら驚きも新しさもないストーリーでした。その上いろいろはっきりさせないのも良くなかったと思います。そこも含めてよくある話になってしまっていました。

「100%以上の幽霊を集めてストーリーをクリアする」みたいなトロフィーがあるので、もしかすると「集めた幽霊の数でラストが変わったりするのかな?」とも思いまいしたが、もはや確かめる気にもならなかったのでやってません←

 

寄り道へのハードルの低さ

良くも悪くも、サブクエストや探索など、寄り道へのハードルはかなり低いです。ただそのサブクエストも、やってもやらなくてもどっちでも、というような内容で、こちらも薄味に感じました。

学校のサブクエストだけは雰囲気が違っていました。ホラーものの遊び心として面白かったので、そこは良かったと思います。

 

収集要素について

とにかく多い。バカみたいに多いです。
KK捜査資料、地蔵、化狸、妖怪の勾玉、幽霊、心霊写真のお祓い、猫又たちの収集品、カプセルトイ、グラフィティ、コスチューム、音声データなどなど。思い出せるだけでもこれだけあります。
集めればそれ相応にいいことがある場合もあれば、「これ頑張る意味あるのかな」みたいなのもあります。どちらにしても必死こいてやるような内容ではなかったです。
シンプルに収集が好きな人とか、フォトモードで遊ぶのが好きな人とかには面白いのかもしれないですが、作業感のほうが強く感じられてしまいました。各アイテムについての説明文は面白かったです。

 

心霊写真のお祓いは、なんで3枚ずつに分けたんだろう。チュートリアルの1枚と、たまたま景色を見つけられた最初の3枚だけしかやりませんでした。ようやく終わったと思ったら「まだたくさんあったはずだ」とか言ってアジトに戻らないといけないの何…… いっぱいあるなら全部持って移動すればよくないか…… 後出しで写真見せられて、見覚えのある場所だと気付けたとて、簡単には辿り着けないし探すのは面倒くささが過ぎる……

それと、もうちょっと写真の画像を大きく見せてほしかったです。手元で持って確認しているせいで、フィールド環境のライトが反射して部分的に白飛び状態に。映っている場所はギリ認識できるけど、どの辺が怖い写真なのかがすごく判りづらかったです。リアルな写真の質感としてはこうなるのかもしれませんが、ここはゲーム的に嘘をつくとか、それこそ別画面で出すとかのほうが良かったんじゃないかと思いました。心霊写真として認識できないので何も怖くなかったです。

 

このゲームについて、「収集する」という点でいくと、一つ一つがそれほど難しくはないがゆえに、「とりあえずやっとくか」程度の気持ちしか湧かず、「楽しくて、つい」とか、「悔しいからもっかい!」みたいなのはあまりなかったです。後ろに行けば行くほど、「やることがあるからやってるだけ」になっていました。

というのも、どのクエストもガワが違うだけでパターンがほぼ一緒なんですよね。妖怪を追って集める。敵を倒して集める。霊視しながらウロウロして集める。でもやったところで大きな得になるようなことはそんなにない…… 基礎ステータスの底上げとかは役に立ちますが、MAXまで上げなくてもラスボスは倒せるし…… なんならラスボス倒した後に探し回ったし…… いやまあそこはそうじゃないと困りますが……

 

それと猫又の収集品。アイテムが落ちている場所のだいたいの表示が複数出せることに最初気が付きませんでした。「さて、集め損なった残りを探すか……」って時になってようやくその設定が出来ることに気付いたという…… 出会った時に全部オンにしとけばよかったよ……

収集品は持ってきて売ることになるのですが、お金がたくさん集まったところで使い道もそんなにないし…… 「猫ちゃんが可愛いから喜ばせたい」以外のモチベーションが……

 

探索について

では「探索が楽しいのでは」と言われるとそうでもない。ほぼ、夜道のビル群を歩いているだけなので、絵変わりもあまりしないし…… 行きたい方向に霧のダメージゾーンがあって入れない、みたいなこともしょっちゅうだし……

私が「オープンワールド"風"」と言っているのはそういう理由です。

 

なんというか、このゲームは楽しむ努力が必要だなと思います。「特に理由はないけど、ビルの上に登ってみよう」とか、「マップ上に鳥居があるから、この付近を見て回ってみよう」とか、自分で自分に提案していかないと楽しめない感じです。「あそこに何か見えてるから行ってみようかな」とかじゃなくて、ずっと「なんか面白いことないかなぁ」って探してる感じでした。

 

ボリューム……?

前述した収集要素の多さを「ゲームのボリューム」と表現されることがありますが、そういうことではないのでは、と思ってしまうのは私だけですかね。

確かに収集要素はゲームのボリュームの一部だとは思います。ただ、一要素だけが大量にあることを「ボリュームがある」と表現することに対して、私は違和感があります。

「ストーリーが重厚である」「サブクエストの内容がそれぞれユニークである」「バトルの戦略性が高い」「独自のゲームシステムがある」「ミニゲームがたくさんある」などなど、方向性の違う楽しさがたくさんあって、それら全部をひっくるめることで「ゲームのボリューム」と表現されるのではないかと私は思っています。なので、このゲームに対して「ボリュームがすごい」という評価はそぐわないかなと思います。物量は確かにすごいですが、ゲームとして面白いかと問われると、私はちょっと言葉を濁したくなってしまいます……

 

バトルのシステムについて

真っ先に思うことは、ロックオンの機能があってほしかったということ。
シンプルにプレイヤースキルが低いというのもあるかもしれませんが、攻撃が当てづらく、とにかくイライラしました。エイムアシスト的な設定があるにはありますが、ほぼ当てにならない←

注視し続けてほしいのに簡単に外れてしまうんですよね。カメラ自体の調整も難しくて最初のうち酔ってしまって具合が悪かったです。

 

炎・水・風などエーテルを飛ばして戦うという設定は面白くていいとは思いますが、全体的にもうちょっと爽快感のあるバトルにしてほしかったです。

前述していますが、まず自分の攻撃がなかなか当たらないことにイライラする。当たったとしても、敵が基本固くて怯んだりもあまりしないので効いてる感じがしない。コアを潰そうとしている時に攻撃されると中断するし、相手はすぐ復活する。攻撃に当たると相棒から怒られる。いろんなイライラが満載で戦闘に対するモチベーションがどんどんなくなっていきました。

戦闘しなくても漂っている幽霊さえ集めていれば経験値は入手できるので、レベルを上げてスキルを解放しまくれば大体はなんとかなるのですが、ゲーム的にそれでいいんだろうか……

 

あとは、地面に向かって輪っか状の攻撃をするやつがいて、ようは「ジャンプして縄跳びのように避ける」というアクションゲームにはよくあるやつですが、基本FPS視点で足元は見えていないので、ジャンプのタイミングがかなり判りづらかったです。避けようとしても当たるし、途中から無視して回復しまくってごまかしてました←

 

マレビト(敵の総称)との戦いについて

「血套法師(けっとうほうし)」という敵がいるのですが、個人的にはボスより何よりこいつが一番厄介でした。空中浮遊した状態で素早く動き回っているので全然攻撃が当たらない。ようやく向かってきたと思って攻撃したら弾き飛ばされる。これに対しては、「いやマジでどうしろと?(怒」となっていました。

対処法としては、おふだでマヒ状態にして、その間に即浄(敵のコアを潰す)するのが一番手っ取り早そうではありました。というか、そもそもこいつと戦うこと自体が相当面倒くさいので、どうしても戦わないといけない時以外は避けてました。

おふだの存在も忘れていて全然使ってなかったし←

なんなら「敵がマヒ状態中なら即浄できる」ってことも、ストーリークリア後の探索中に気が付いたよね←

 

せっかく図鑑的なものを実装しているなら、敵の弱点とか、倒すためのヒントみたいなのがあっても良かったと思います。この敵はおふだが有効とか、火に弱いとか、矢が嫌いとか。

各マレビトの生まれについては記載されていたと思うので、マレビトの弱点を匂わせるような逸話なんかも添えてくれてもよかったんじゃないでしょうか。例えば「極端に水を恐れている」とか「いつも雪を纏っている」とか。私にはあまりいい例が思い浮かびませんが、それはそれとして。

 

「傘を盾として構えてくる敵には火が効くっぽいな」とか、自分で対処法を発見する面白さもあるとは思います。ですが、対処法を見つけられるまでは手も足も出ない、みたいなのはやめてほしかったです。

特に前述した「血套法師(けっとうほうし)」、地面を泳ぎ回る「黒土女(くろつちめ)」、空中浮遊したままエネルギーを飛ばしてくる「照法師(てるぼうし)」、など、若干特殊な敵との戦い方は、本当にどうしていいのかよく判りませんでした。出会ってしまうと一方的に殴られまくり、私の怨みが溜まるばかり←

なので、つむじ風があったり、地面が水面のように波打ったり、雨が逆さまに降りだしたりなど、何かがいる予兆が見えたら、さっさと逃げるようにしていました。戦う楽しさよりも面倒くささのほうが上回っているので。

透明になる「不見鏡(みずかがみ)」もイライラしました。飛ばしてくる物体に気付きにくく、一回当たってしまうと連続で食らうのでかなり体力を削られます。しかも向こうに見つかってしまうと逃げてもしつこく追い回される…… どこまでついてくるんだ…… 天狗を使ってビルの上に逃げても、攻撃だけ追ってきたり……やり過ぎじゃない……?

 

ちなみに、「人型の雑魚たちを片付けるのには、水のチャージ攻撃(斬波みたいなやつ)を最大まで成長させておくとかなりラク」という情報を見かけたので、実際にやってみたら本当にかなりラクになりました。ありがたい……

 

遭遇したバグ

・ファストトラベルしたら無限落下
発生したのは一回だけでしたが、これが一番ビビりました。マップからファストトラベルをやり直したら普通に復帰できたのでよかったですが。フィールドの読み込みが間に合わなかったのかな。

 

・メニュー画面のマップでクリア済みコンテンツのマーク表示をオフ状態にしているのに、ミニマップには表示され続けている
ミニマップだけを頼りにその場まで行ったら何もなくて、マップ開いて閉じたら消えました。なんか無駄に歩いたな。


・インタラクト出来るオブジェクトにインタラクトのボタンが表示されないことがある
これは大きいゴミ箱でしょっちゅう起きてました。何も表示されてなくても、ボタンを押せばインタラクト出来るし、アイテム取得も出来るので、大きな問題にはなりませんでした。『フォールアウト』でもしょっちゅう起きてたので、そんなに気にしませんでした。(開発自体はベゼスダではないですが)

 

まとめ

PlayStation Plusからダウンロードしてプレイしましたが、これにフルプライスはちょっと払いたくないかも、というのが本音です。街の作り込みは確かにすごいですが、そこだけがすごくて、ゲーム性もストーリー性も物足りなかったです。サイバーパンク的な雰囲気を持ちながらも、内容的には次世代ゲームという感じはあまりなく、全体的に垢抜けない印象でした。なので、私としては「かなり微妙なゲーム」というイメージです。至るところに、「ゲームであろうとしている」という意図は感じられましたが、それが逆に芋っぽさを生んでしまっている気がしました。いろんなゲームをプレイした後でこのゲームをプレイすると、「物足りないな」と思うんじゃないでしょうか。


「誰向けのゲームなんだろう」と考えてみましたが、私の中では「親日外国人の方に向けられたゲームなのかな」という結論に至りました。

忍者風(陰陽師風?)のバトルシステム、日本の工芸品、都市伝説、妖怪、昭和から平成にかけて流行したグッズ、コンビニで売っている物まで解説が豊富で、その点はかなり面白かったです。日本の都会の街並みが細かく再現されていて、擬似観光をするにはちょうどいいんじゃないかな、とは思いました。

 

私もこれらの要素はとても好きな部類の人間ではありますが、どうにも生かし切れていないんじゃないかって気がしてしまいました。どうすればいいのかは私にも分かりませんが、何かもっとより良く出来たんじゃないだろうか……

 

以上、ゲーム『Ghostwire: Tokyo』の感想でした。

映画『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』を観ました。

鑑賞日:2024/2/17

作品名:ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ

 

※ネタバレをいとわない形で書いています。未鑑賞の方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

 

あらすじ

子供が消えたその場所で
“彼ら”は待っている。

過去に行方不明となった弟の未解決事件に未だ苦悩しながら、
ともに暮らす妹アビーのため必死に仕事を探していたマイクは、
ある日、夜間警備の依頼を引き受ける。

「簡単なことだ、モニターを監視するだけだよ」

かつては機械仕掛けのマスコットたちが人気を呼んだレストラン
<フレディ・ファズベアーズ・ピザ>は、
80年代に子供たちが謎の失踪を遂げ、現在は廃墟と化していた。

マイクはここで夜を過ごすうち、説明のつかない出来事に遭遇し、
この夜勤がそう簡単には終わらない事に気づく――。

引用:下記サイトより

fnaf-movie.jp

 

概要

映画館(字幕)にて鑑賞。

全編1時間50分(110分)と平均的な長さ。

年齢制限なし。

原作ゲームの知識ほぼゼロで鑑賞。

初心者向けビックリ系ホラーハートウォーミング(?)映画でした。
ホラー要素はグロやスプラッタではなく、いわゆる「ジャンプスケア」といわれるビックリ系、ハラハラ系なので、それがよっぽど苦手な人は気をつけたほうがいいかもしれません。私はほぼ怖くなかったです。


原作ゲームがどうかは知らないですが、無理やりヒューマンドラマを足して、無理やりどんでん返し的なものを狙った感がありました。
引っかかる部分が結構あったので整理しようと思います。

 

感想

父と娘じゃダメだったのか?

兄と妹の設定でしたが、年齢が離れ過ぎているように見えました。最初のうち話に集中できなかったし、叔母さんのことを別れた奥さんなのかと思ったよ←

劇中で兄の年齢については語られていなかったとは思いますが、兄(マイク)役のジョシュ・ハッチャーソン氏は現実では31歳。妹(アビー)役のパイパー・ルビオ氏は現実では何歳なのか不明ですが、劇中では10歳の設定でした。マイクは職探しをしていますし、仮に劇中の兄の年齢設定が20歳前後だとしても10歳差。間に弟がいるとはいえ、ちょっと離れ過ぎでは。ちなみに弟が誘拐された時のマイクの年齢は12歳とのこと。

アビーがマイクの血のつながった妹だとすると、弟の誘拐事件が起きた時、彼女は赤ちゃんか、産まれてないかぐらいだと思うので、アビーが何か覚えてるってことはないでしょう。彼女はマイクの夢にも居ませんでした。けれど、アビーは誘拐事件のことについて話しています。
幽霊の子供たちがアビーに教えてくれたということにすれば、辻褄は合うかもしれませんが、私は納得できませんでした(彼女は当時のことを「覚えてる」とか言ってた気もするし…… どうだったかここは私はうろ覚えですが……)

 

黒幕について

今回の設定で、マイクの弟の誘拐事件と、ピザ屋での子供失踪事件を同一犯にするのはかなり無理があるように感じました。関連性がなさ過ぎると思います。

マイク兄弟は実は昔あのピザ屋に行ったことがあって、とか、もしくは、キャンプ地で誘拐された弟が着ぐるみの一員にされていた、みたいな設定のほうがストーリー的にはまだ納得出来たんじゃないでしょうか。

弟のことはおそらく衝動的に誘拐し、その後、殺害に至ったのでしょう。しかし、そのことと、誘拐した子供を着ぐるみに入れるという行動が結びつけられませんでした。

動機に一貫性があり、かつ計画的、かつ同じ犯行を繰り返すのがフィクションにおけるシリアルキラーの特徴だと思います。しかし、今回の黒幕は行動がバラバラした印象でした。弟の誘拐事件は黒幕にとってシリアルキラーになるきっかけに過ぎなかった、ということにしたとしても、それがこの物語にとってどのような作用が働いているか、というのは微妙なところです。

 

この黒幕、冒頭あたりでマイクに夜間警備の仕事を斡旋したキャリアカウンセラーなわけですが、制作側の「ほら予想外だったでしょ?」感が出過ぎていて、かなり冷めました。そんなこったろうと思ったよ、という感じです。

あえてマイクに関わらなければバレなかっただろうに、誘拐した子の兄だからという理由だけで殺そうとするし。「最初は弟で、最後は兄」みたいなことも言ってましたが、なんだそのよく解らん理屈は←

 

本当に5日間だったのかな

「ファイブ・ナイツ」という割には5日間という日にちの境目がよく判りませんでした。「◯夜目」みたいなのを出してくれても良かったと思います。ちょっとダサくなる可能性もありますが、そこはゲーム的要素の演出として入れても良かったんじゃないかな。本家がどうかは知らないですが……

 

実写化というより原案に近いのでは

おそらく原作のゲームとしては、「廃れたピザ屋を警備すること」が主体だったのではないかと思われるので、そこにもっとフォーカスして凝縮した上でストーリーを乗せてくれたほうがよかったのではないでしょうか。
ホラー映画と思って観に行きましたが、私は混乱しました。というのも、あの着ぐるみ達は状況によって敵になったり味方になったりするからです。(なんなら一時的にマイク達の友達レベルにまでなる)

じゃあ誰を応援すればいいのか(もちろん基本的にはマイク達なのですが)、それがよく判らない状態のまま話が進んでいき、何もスッキリしないままエンディングを迎えたため、なんとも消化不良でした。変に脚色してヒューマンドラマを突っ込むよりもホラーに極振りするほうがよかったんじゃないですかね。

 

ラストでは黒幕も死に切っていませんでしたし、囚われたままの子供の幽霊たちも救われたわけではありませんでした。あんなに仲良くなったりしていたのに?という感じで、なんだかなぁ。

これに関しては「ゲームではたくさん続編が出ているから、そこに合わせたのでは」と助言を受けましたが、私は「映画としては、これ以上やれることはないのでは?」と思ってしまったので、ハッピーエンドにせよバッドエンドにせよ、「映画は映画」で、スパっと終わってもよかったんじゃないかなと思いました。

 

この作品もそうでしたが、映画のラスト付近やエンドロールの途中で、もしかしたら作るかも(作れるかも)しれないから、続けられるように続編匂わせカット入れとく、みたいな賭けをするの、そろそろやめてもらえませんかね…… 続編制作することが決まってるなら入れればいいけど、そうじゃないならこの1作に賭けてくれないか…… 最高の1作になれば、自ずと続編の話も持ち上がるでしょうし……

パロディ的に入れるのはいいと思いますが、だんだんそうじゃなくてガチの匂わせになってきてない……?

 

この映画に対する私の総合的な感想としては、「いまいち」の一言です。

エンタメ体験を求めるのなら、原作ゲームをプレイするほうがいいのかもしれません。原作はすごく怖そうなので、私は多分やらないでしょうけど……←

 

以上、映画『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』の感想でした。

映画『JUNK HEAD』を観ました。

鑑賞日:2024/2/15

作品名:JUNK HEAD

 

※ネタバレをいとわない形で書いています。未鑑賞の方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

 

あらすじ

環境破壊が止まらず、もはや地上は住めないほど汚染された。人類は地下開発を目指し、その労働力として人工生命体マリガンを創造する。ところが、自我に目覚めたマリガンが人類に反乱、地下を乗っ取ってしまう。それから1600年──遺伝子操作により永遠と言える命を得た人類は、その代償として生殖能力を失った。そんな人類に新種のウイルスが襲いかかり、人口の30%が失われる。絶滅の危機に瀕した人類は、独自に進化していたマリガンの調査を開始。政府が募集した地下調査員に、生徒が激減したダンス講師の“主人公”が名乗りを上げる。地下へと潜入し、〈死〉と隣り合わせになることで命を実感した主人公は、マリガンたちと協力して人類再生の道を探る。今、広大な地下世界の迷宮で、クセ者ぞろいのマリガンとの奇想天外な冒険が始まる!

引用:下記サイトより

gaga.ne.jp

 

概要

Amazonプライム・ビデオにて鑑賞。

この日で配信期限が切れると知り慌てて視聴したものの、普通に期間延長されてました←

全編1時間40分ぐらい(101分)と、まあまあの長さ。

劇場では全年齢対象(※)で公開されていたようですが、内容にもデザインにも不気味さがありますので、怖いと感じる人もいると思います。苦手な人は注意したほうがいいかもしれません。特にお子様にはまだ早いかも。

Amazonプライム・ビデオでは「PG12」となっています。

 

SF&ちょっとコメディ&ちょっとホラーなストップモーション・アニメ映画でした。

 

感想

根気と執念の1作

このクオリティの作品をほとんど1人で……?

実際には協力者の方が数名いるようですが、それでもこれがどれだけ凄くてヤバいことなのか。ものづくりを少しでもかじったことがある人には解ると思います。とんでもないバケモノです。

 

自分を信じて作品を最後まで作り上げるというのは、ものすごく勇気と根気がいる作業です。途中で挫折する人が大半です。

ものづくりをする時って、これで大丈夫かな、これで伝わるかな、面白いのは自分だけじゃないかな、こんなことやってていいのかな、そんな不安と戦いながらも、これは絶対に面白い、自分も楽しいしきっとみんなも楽しんでくれるはず、なんなら楽しんでもらえなかったとしても最悪自分が満足のいく作品に出来るならそれでもいい。作るぞ。作るぞ。そんな感情を何度も繰り返しながら、作品に向き合っていくものではないでしょうか。それを。7年間。ひたすら。

 

どんなに楽しくても折れる時は折れます。続けるだけでもすごいことです。それを完成まで持っていき、ひいては続編まで制作しているとのこと。バケモノでしかない。

背景の建物にせよ、キャラクターにせよ、これらの造形と物量をコマ撮りでやろうというのは相当の覚悟を感じました。

 

独特のアニメーションとデザイン

ストップモーションであることを忘れるぐらいよく動き、けれどもストップモーション特有のたどたどした動きの面白さも残されているように感じました。細部まで創意工夫が凝らされていてよかったと思います。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』的なダークファンタジーの空気感もあって好きでした。

 

ただ、マリガンのデザインについては、観る人によって結構好き嫌いが分かれるところだと思います。キモ可愛いけど、キモ成分の割合のほうがちょっと多いかもしれない←

足とか牙とかいっぱいあるのはちょっとあの…… 観るよ、観るけど…… 結構グロテスクだよね……

 

SFってなんとなく難しさがある……

ど頭が文章で始まるため、私はそこでつまずいてしまいました(早い

私は時間制限内に長文を読むのが苦手です。『スター・ウォーズ』で最初に流れる文章とかも、まともに読めたためしがない←

でも、ここが読めないと話のとっかかりと目的が解らなくなっちゃう。しかもなんだかややこしそうなことを説明している雰囲気が漂っていて、ちょっとだけ頭を抱えました。「フレーバーなのかも」とも思いましたが、ここで事の発端や目的を説明していると思うので理解できないと置いてけぼりになります。

私は微妙な理解度のまま本編に進んでしまったので、世界に入り込むまでにちょっと時間がかかりました。こういう始まり方をする作品に出会うと、「出来ればこの文章の内容も映像で説明してもらえると助かるんだけどな……」と思ってしまいます。

 

映画としての率直な感想は、「観て損はない。ただ、観ないと後悔するってほどでもないかも」かなぁ……

好き嫌いが分かれる作品だとは思いますが、コアなファンは多いんじゃないでしょうか。アングラ的な匂いもしますし、昔のヴィレッジヴァンガードだったらグッズとか置いてくれそう。


人形劇的なコメディタッチもありつつ、それは何をしてるの…… それも何…… みたいなよく解らないものに対する不気味さもあって、そこも若干観る人を選びそうではありました。

 

私は心が穢れているので、しっぽも、クノコも、観た瞬間に「そんなフォルムで大丈夫か?」となりました。でも「そもそも生殖機能を取り戻すって話だもんな」みたいな。……いや普通に下ネタってことでいいんだよね?笑

 

体感的には短く感じた

「えっ、こんなとこで終わり? 続きは?」となりました。というのも、3部作中の1章とのことで、お話はまだ途中。続編は2025年公開予定とのこと。……3部作!?

junkworld-movie.com

 

 

賞賛すべきは、この作品に向き合い続け、未だ手を止めず取り組んでいる堀貴秀監督の情熱と執念と根気だと思います。ものづくりに携わる人は、戒めとお守りとしてディスク版を家に置いておくのもいいかもしれません。

 

以上、映画『JUNK HEAD』の感想でした。

ゲーム『アッシュと魔法の筆』をプレイしました。

プレイした日:2024/1/19

作品名:アッシュと魔法の筆

開発元:Pixelopus
メーカー:ソニー・インタラクティブエンタテインメント
プレイしたハード:PS5

 

※ネタバレをいとわない形で書いていきます。未プレイで中身を知りたくない方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

 

あらすじ

2014年に登場したフライトアクション『Entwined』(エントワインド)を手掛けたPixelopus(ピクセルオーパス)がおくる “描く楽しさ”と“勇気”をテーマにしたファンタジックなアクションアドベンチャー

主人公の名前は“アッシュ”。廃れた港町デンスカでかつて暮らしていた、絵が大好きな心優しい少年。
ある日魔法の筆を手に入れ、絵を描いてみると、描いた絵には生命が吹き込まれ、描かれた景色や不思議な生き物――“かいぶつ”たちは動き出す……。

引用:下記サイトより

www.playstation.com

 

概要

ノーマルモードでクリア。

寄り道ほとんどなしで、ストーリークリアまで6〜7時間ぐらいでした。

CERO:B(12歳以上対象)。

『Life is Strenge』のような雰囲気を持ちつつも、『キングダム ハーツ』のようなアクション要素もあるゲームでした。内容も極端に重苦しいわけでもなく、手軽に遊べるゲームとなっています。

お絵描き系をテーマにすると、どうしても子供向けっぽくなると思いますが、この作品も例にもれず、といった感じです(それが悪いという意味ではありません

それでも充分楽しめるかなとは思います。

 

いわゆる"イジメ"的な暴力表現が含まれている、というか中盤までずっとそうなので、そういう話が苦手な人は注意が必要かもしれないです。

 

感想

2本のゲームをプレイしたかのような感覚

序盤〜中盤は、比較的平和なステルス&お絵描きゲームです。

嫌がらせを繰り返す問題児達に見つからないよう行動しつつ、魔法の筆を駆使しながら、自分で描いた"かいぶつ"達の手を借りて町を救おう、という感じ。
しかし、中盤〜終盤になるとゲーム性が変わり、一気にバトルアクションになります。いい意味で予想外でした。途中でここまでガラッと変わると分離してしまいそうですが、ストーリーで巧く繋ぎ止めているようでした。

私はどちらかというと、アクションゲームは得意ではない(好きだけど下手)ので、「おっと、マジか」となりました。平和なお絵描きタイムから一転、敵を倒すのにひーこらすることに……笑

難易度設定がある時点で「そりゃそうだよね」という感じですが、何も考えていなかった私は完璧に虚を突かれました←

「お絵描き楽し~、かいぶつ可愛い~」って浮かれてたら、戦闘のターンが始まって「え、急に物騒になったぞ、やっべ、どうすんだどうすんだ!?(パニック」ってなりました。とはいえ、そこまで高度なプレイヤースキルを求められるわけでもないので、ゲームをやり慣れている人であれば問題ないと思います。難易度も下げられますし。

 

誰でも簡単にデザイナー気分を味わえる

スケッチブックを収集し、決まった形のデザインを自由に組み合わせていくだけなので、手軽に絵が描けた気になれて楽しかったです。描いたものがその場で動き出すのも嬉しい。ボヘミアン・ラプソディー!(解らない方はスルーして下さい

かいぶつの各パーツデザインは、不気味さと可愛さを丁度よくミックスしてくれていて、私の好みでした。

描いたかいぶつたちとコミュニケーションが取れるところもよかったです。アッシュがジャンプしたら一緒にジャンプしてくれたり、筆でコチョコチョって出来たり、リクエストに答えると喜んでくれたり、特定の場所では一緒に遊ぶことが出来たりします。荒んだ心をよしよししてもらっているような、ほっこりした気持ちになりました。

 

素敵なメニュー画面

メニュー画面が使い込んだ手帳のようなデザインになっており、開いた時のワクワク感がかなりよかったです。私はメニュー画面のデザインを眺めるのが大好き侍なので、このデザインはかなり気に入りました。アッシュが町を巡りながら地図やメモ、かいぶつのデザインを書き足している姿が想像出来ます。キャラクターやゲームの特徴に付随した画面デザイン、とても好きです。

 

 

不満点

短いな

予想以上に短かったです。というのも、私はこのソフトをPlayStation Plusからダウンロードしてプレイしたので、値段を見ていませんでした←

確かに、この値段(3000円ちょっと)なら、この短さでも納得できるかなという感じです。それなりに値段相応かなとは思います。ゲーム内容からすると、ちょっとお安いのでは? って気もしなくはないですが。

 

システム面について

ファストトラベルが欲しかったです。中盤からは筆で滑って移動出来るようになりますが、それでもエリア移動の面倒くささが目立ちました。やり残したことがある場所に行きたいと思っても、ステージを地道に移動するしかありません。私は方向音痴なので「このエリアどうやって行くんだっけ?」と、しょっちゅう迷子になってました←

 

それと、ラスボス中に何回か負けたのですが、チェックポイントがあったらいいのになって思いました。ラスボスは戦闘が何回かに分かれているのですが、負けたら最初から戦い直すことになるので面倒くさかったです。アクションが主軸のゲームであれば、なんとなく納得できたかもしれませんが、この作品はそうではないと思うので、少しだけ優しさが欲しかったです。

 

金属系のSEについて

これは個人差があるとは思いますが、屋根の上や金属質な場所を歩いている時のSEが、私にはうるさい音(音量の問題ではなく、音の質感の問題です)に感じられ、ちょっとだけ不快でした。鳴るのはいいんだけど、もうちょっと耳心地のいい音にしてほしかった。ファストトラベルの件とも相まって、探索するのがしんどくなってしまいました。

 

よくあるストーリー

ストーリー自体は割とありきたりで、新しく得られるものはそんなになかったかなって気がします。このゲームはストーリーどうこうよりも、デザインやゲーム内容を楽しむ作品ではないでしょうか。

いつも絵ばかり描いているアッシュは、いわゆるオタク的な扱いで、問題児達に大事なスケッチブックを破られたり、追い回されたりしています。

暴力を振るってしまう問題児たちのバックグラウンドについても描かれており、アッシュは魔法の筆を通すことで彼らの事情を知ります。

問題児達の一人が魔法の筆を奪い取り、折ってしまったことで、町に渦巻く闇が抑えきれなくなり、今まで描いたかいぶつたちがバーサーカー状態に。暴れまわるようになったかいぶつ達は、アッシュを含め問題児達も襲うようになります。

心優しいアッシュは彼らをちゃんと助けるんですよね。私だったら「自業自得、知らんし」って放置したくなる←

まあ、放置すると町が大変なことになってしまうので、結果的には助けないといけないのですが。

助けた問題児達も協力し、どうにかこうにか事を収めたアッシュ。彼らも一連の事件を通して態度を改めます。アッシュは新たな友人の一人として関わっていくのでしょう。ですが、されたことは忘れられないだろうし、心に受けた傷は残ると思います。

彼らは外に対しては加害者ですが、家庭環境においては被害者でもあります。なので、何らかのケアは必要だとは思います。ただ、それは他の誰かに暴力を振るっていい理由にはなりません。

絵をかじっている者としては、楽しく描いた絵を破かれたり、汚されたり、台無しにされることはブチ切れ案件です。問題児達は「いじってるだけ」などと言っていましたが、人が大切にしているものを壊したり汚したりするのは暴力です。

 

しかし、この手のストーリーは大半が最後に和解します。この作品も、最後は和解しているように見えました。アッシュは彼らを「許す」とは言いません。ですが、前とは違う形とはいえ、おそらくこれからも彼らと関わっていく。気苦労が絶えないだろうなと、余計な心配をしてしまいました。

 

和解して終わりにするストーリーは、一見いい話に見えますが、「これらの出来事は子供の頃のちょっとした拗れで、それもいつかはいい思い出になる」みたいに扱われているように感じてしまいます。私はこの流れに納得できないことがほとんどです。思春期に起きた嫌な出来事を、いつまで経っても許すことも忘れることも出来ない人もいるんですよ。私がそうです←

まあフィクションですし、理想的ではあると思うので別にいいんですけどね。

 

このゲームを楽しむのには、ゲーム性、ストーリー含め、向き不向きがありそうでした。私はそれなりに楽しめましたが、人に勧めるほどではないかなぁ。

ただ、かいぶつ達はとっても可愛いので、そういうのが好きな人にはいいんじゃないかなと思います。

 

以上、ゲーム『アッシュと魔法の筆』の感想でした。

映画『ゴールデンカムイ』を観ました。

鑑賞日:2024/1/29

作品名:ゴールデンカムイ

 

※ネタバレをいとわない形で書いています。未鑑賞の方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

 

あらすじ

舞台は気高き北の大地・北海道、時代は、激動の明治末期―。

日露戦争においてもっとも過酷な戦場となった二〇三高地をはじめ、その鬼神のごとき戦いぶりに「不死身の杉元」と異名を付けられた元軍人・杉元佐一は、ある目的のために大金を手に入れるべく、北海道で砂金採りに明け暮れていた。 そこで杉元は、アイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った男「のっぺら坊」は、捕まる直前に金塊をとある場所に隠し、そのありかを記した刺青を24人の囚人の身体に彫り、彼らを脱獄させた。

囚人の刺青は全員で一つの暗号になるという。

そんな折、野生のヒグマの襲撃を受けた杉元を、ひとりのアイヌの少女が救う。「アシㇼパ」という名の少女は、金塊を奪った男に父親を殺されていた。金塊を追う杉元と、父の仇を討ちたいアシㇼパは、行動を共にすることに。

同じく金塊を狙うのは、大日本帝国陸軍「第七師団」の鶴見篤四郎中尉。日露戦争で命を懸けて戦いながらも報われなかった師団員のため、北海道征服を目論んでおり、金塊をその軍資金代わりに必要としていた。

そして、もう一人、戊辰戦争で戦死したとされていた新撰組の「鬼の副長」こと土方歳三が脱獄囚の中におり、かつての盟友・永倉新八と合流し、自らの野望実現のため、金塊を追い求めていた。

引用:下記サイトより

kamuy-movie.com

 

概要

映画館にて鑑賞。

全編2時間ぐらい(128分)と平均的な尺。PG12。

原作漫画/アニメ最新話まで履修済み。

実写化ということであまり気乗りはしませんでしたが、原作者の野田サトル先生が監修しているということで、それだけを頼りに観に行きました。

それなりに心配ではありましたが、思ってたよりも断然よかったです。ストーリーをかなりじっくり描いています。というか、ちょっとじっくり過ぎないか。これは次回作があるってことでいいのかしら。駆け足で原作シーンをバッサリ切られたり、変な改変されたりするよりはいいと思いますが、俳優陣の年齢の問題などもありますし、このペースで制作して最後のほうまで制作できるのかどうか、という点については心配になりました。

 

感想

配役について

2次元作品の実写化に辟易している人たちは、「また山崎賢人かよ。」と誰もが思ったことでしょう(失礼 私も思いました(すみません

それでもかなり頑張って杉元に寄せてくれていました。アシㇼパさんもイメージから大きく外れるようなことはなかったです。白石も思ったより白石だったし、鶴見中尉も思ったより鶴見中尉でかなりよかったです。馬から落ちてもすぐに走り出すシーン最高でした。カッコよ過ぎ。

実写化というと、残念コスプレ集団になりがちですが、この作品に限っては問題なく観ることが出来ました。足りなかったのは筋肉ぐらいです←

登場人物全員の見た目がほぼ原作通りなところも好感が持てました。私としては、アチャがまんまアチャだったのが一番衝撃でした。みんな大好き谷垣ニシパは出番が少なかったため、魅力はあまり描き切れていないようでしたが。

 

戦争や格闘シーンでの血や泥での汚れっぷりや欠損描写など容赦がなく、原作スピリットを感じました。また、昨今の映像作品では肌を綺麗に見せるため、化粧やCGで毛穴やシミなどをほぼ消してしまう加工をすることも多いです。しかし、この作品は逆で、特に男性陣は、シミやそばかすを上乗せすることでリアリティを出しているようでした。

 

やっぱりコメディって難しい

原作の特徴でもあるシリアス×コメディ。今回の映画において、コメディシーンだけはいまいちでした。実写化やドラマ特有の上滑りが発生していて、人を笑わせるということは本当に難しいんだなと感じました。漫画やアニメではナチュラルに受け入れ、ちゃんと笑うことが出来たシーンなのに、実際にそのシーンを人間がやってみると笑いにならない、というのはよくあることで。今回もそれが発生していました。謎です。サトル先生の漫画における緊張と緩和のバランス感覚が半端ないんだろうなとも思いました。

部分的になぞるだけではやっぱりダメで、そこまでのキャラやバックボーンの積み重ね、状況、フリ、間、タイミング、笑いを誘うのに適した演技、観客の状態、偶然、その他諸々あるんでしょうね。

 

ゴールデンカムイ』のコメディの象徴といえばアシㇼパさんの顔芸ですが、映画のアシㇼパさんにはまだ「恥じらい」と「あざとさ」が見受けられました。変顔しようと思って変顔している感じというか。ギリギリ可愛さを保とうとしているというか。失礼なのは承知ですが、私の目にはそう映ってしまいました。

例えば、杉元のオソマ(味噌だけど)を顔に近づけられるシーン。心の底から嫌だと思った結果、図らずも変顔になってしまった、というよりは、変顔のシーンだから変顔をしようとしているように見えてしまいました。リミッターを外しきれていないだけで、実はもっと出来そうだなとも。ただ、あんまりやり過ぎても浮いてしまうかもしれないので、難しいところではありますが。アシㇼパさんの芯のある人間性、強さと弱さ、どこか儚さが漂っている雰囲気はとてもよく表現されていたと思います。でももっと顔面崩壊してほしかった←

 

俺たちの戦いはこれからだ!

じゃないですよね……?

「こんなキャラも、あんなキャラもいるよ!」と見せ、「さあ、これから金塊争奪戦が始まるぜ!」ってところで終わってる……よね……?

いや正直なところ、私としては「映画はこれ1本で終わりだよ」でも全然いいかなと思っています。

というのも、全く知らずにこの映画を観た人は、きっと原作を読みたくなると思うんです。展開と結末を知りたくなるはず。となると漫画にしろ、アニメにしろ手を出すでしょう。そうすると、気に入った人は最後まで突っ走るように履修しますよね(私はそうでした) 履修済みとなると映画はまあ別にいいか、となる人も出てくるのではないかなと。映画は映画で違う味がするので、私は観るとは思いますが。

未履修者に興味を持ってもらうための大々的な宣伝としての映画だと思えば、大成功と言えるのではないでしょうか。

続編は大歓迎ですが、あのペースで話が進むとなると最終的に全何部作になるのか……

制作されるのであれば、完結するまで誰も欠けないことを祈るばかりです。

 

以上、映画『ゴールデンカムイ』の感想でした。

映画『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』を観ました。

鑑賞日:2024/1/13

作品名:TALK TO ME トーク・トゥ・ミー

 

※ネタバレをいとわない形で書いています。未鑑賞の方や、ネタバレを一切踏みたくないという方が閲覧する場合はご注意下さい。

あらすじ

母を亡くした高校生のミアは、気晴らしに仲間とSNSで話題の「#90秒憑依チャレンジ」に参加してみる。
ミアたちはそのスリルと強烈な快感にのめり込み、チャレンジを繰り返していくが、仲間の1人にミアの母の霊が憑依し——。

引用:下記サイトより

gaga.ne.jp

 

概要

映画館(字幕)にて鑑賞。

全編1時間半ぐらい(95分)と比較的短め。PG12。

スナック感覚で観ることが出来るポップな(?)ホラー映画でした。

 

『ミッドサマー』以降、広告で「A24」を前面に押し出すようになったこともあり、「A24」と聞いただけで必要以上に期待してしまう方も多いかもしれません。

しかし、この作品は『ミッドサマー』のような、グロテスク、かつ不気味、かつ言葉にしがたい気持ち悪さ、というような一種の衝撃的な独自性を持ったホラー映画ではありません。後味の悪さ、グロテスクさは確かにありますが、いろんな意味でそこまでショッキングな作品ではなかったと思います。

 

思い切ったカメラワークやシーンづくりといった演出面は特徴的でしたが、主立った面白さが感じられるのはその部分だけでした。ストーリー的には、「まとまっている」という印象ですが、この話でどういう気持ちにさせたかったんだろうと思ってしまいました。私の場合、解釈に戸惑いが出てしまったので、"最高にブッ飛べる"という感じではありませんでした。

 

感想

「全ては幽霊のせいさ!」という視点だけで観ると

終始シンプルに、「幽霊怖い」「安易に危険なことに手を出すな」で済ませることが出来るんじゃないかと思います。

「特級呪物の"手"を使って憑依チャレンジして遊んでたら親友の弟が大変な目に遭っちゃった!ヤバ!でも何とかしなくっちゃ!私のせいだし!(死んだママにも会いたいし)」

とまあ、流れるようにミアは嫌われ者ムーブをしていくわけですが、「何とかしなくっちゃ!」という行動をするうちに、ミアには自殺した母親の(ふりをした)幽霊が付きまとうようになります。幽霊は、父から聞かされた母の遺言を嘘だと信じ込ませたり、重症のライリーを救う(=殺す)ように命じたりします。全ては偽母親の幽霊や、ライリーに取り憑いたままの幽霊達が画策したこと、と捉えるのが最もシンプルな解釈だと思います。

 

しかし、狙ってなのか、私が勝手に受信してしまっただけなのか、以下の視点を交えると、このストーリーの解釈は単なるホラーとは違う複雑さが出てきます。

 

「この子、症状で幽霊を見ているだけでは?」という視点

降霊ゲームまでは本当に幽霊の仕業で、ライリーが入院した後から先、ミアの身に起こったことは症状なのではないか、という視点です。

 

ミアには、「母親が自殺した一件があって以来、鬱病を患っている」という設定があります。この設定が、良くも悪くも作品の解釈に複雑さを生んでいるように思います。

ミアは自分の身勝手のせいで友人たちを苦しめることになりました。結果、彼女は精神的に追い詰められ、寛解していた鬱病が再発、かつ統合失調症まで発症してしまったのではないでしょうか。

というのも、ライリーが入院した後から先、幽霊を見た人間が一人もいません。ミアが主張していることを誰も証明出来なかった。というか、みんなミアと関わりたくなくなってしまったので、証明する気にもならなかったのだと思います。(彼女を孤立させることこそが幽霊の作戦とも捉えられますが)

 

ライリーが風呂場で身体を洗ってもらっている時、壁に頭を打ち付け始めたことに関しては幽霊の仕業なのでしょうが、ミアが思い込んでいる"救い"(囚われた魂を解放するためには死を与えるしかない)については妄想だったのではないでしょうか。作中で、「取り憑かれても、時間経過で霊の力は弱まる」と説明されていましたし、実際ライリーは回復し始めていました。その時点でミアがこれ以上何かをする必要はないわけで。にもかかわらず、それ以降も「私が救ってあげなくちゃ(殺してあげなくちゃ)」と思い込んでいました。

 

以上のことから、この作品は「オカルトと症状が入り混じった映画」という見方も出来るのではないでしょうか。

私としては、どちらなのかハッキリしてくれたほうがスッキリするし、そのほうが恐怖だけに集中できるんだけどな、という気持ちでした。

 

ミアの最期について

ミアは結局ひとりぼっちで幽霊になり、別の浅慮な若者たちのおもちゃ行きという、なんとも言えない結末。

 

彼女は自ら死を選んだのか、あるいは偽母親の霊に操られたのか、はたまたジェイドに突き飛ばされたのか、それとも全く別の要因か。真相は不明ですが、私の中では「自ら死を選んだ」だと思っています。

 

ミアはライリーに死を与えることで、辺獄に囚われ苦しんでいるライリーの魂を救えると信じ込んでいました。今まさにライリーを救おう(殺そう)という時、偽母親の霊は「これで彼は救われる、あとは私が守る、彼は私の永遠になる」というようなことを言います。もし私がミアの立場で、死んだ母親のそんな言葉を聞いたとしたら、「そんなのズルい、私がママに守られたい、私がママの永遠になりたい」と願うと思います。ライリーの魂のことなど忘れ、衝動的に「自分が救われたい」とも思うでしょう。なので、ミアは自分から死を選んだのではないか、というのが私の結論です。

 

ドラッグの蔓延とSNSを背景に制作されたというこの映画。

「友達なら止めるべきだった」という一言には重みがありました。

 

以上、映画『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』の感想でした。