エンタメ消化器官

様々なエンタメ作品に対する個人的な感想

ゲーム『The Witness』をプレイしました。

作品名:The Witness(ザ・ウィットネス)

開発:Thekla, Inc

プレイしたハード:PS4

 

※この記事は2022年10月頃に書いた記事です。下書きしたのをすっかり投稿し忘れ、放置していたのですが、せっかくなので公開記事にします。

過去に書いた記事のため、現在公開されている作品とは内容が異なる可能性があります。ご了承いただければ幸いです。

 

概要

オープンワールドのフィールド上に散りばめられた一筆書きパズルをひたすら解いていくFPS視点のシングルプレイゲーム

the-witness.net

 

 

感想

パズル難し過ぎるだろ……

とはいえ、まったく解けないレベルでもないところが憎らしいです。時間をかけてでもトライ&エラーを繰り返していくうちに「解けた!」となるのが気持ち良くて、ついつい次のパズルにまた挑戦したくなってしまう。そんなゲームでした。

以下に詳細をまとめます。

 

 

※ここから先はネタバレを含みます※

 

 

パズルどんだけあるんだよ

公式によると500以上ものパズルがあるとのこと。はっきり言って気が狂ってます。しかもどれもちゃんと難しいし、ちゃんと解ける。そして風景にまでパズルを仕込むって何。怖い。このゲームを作った人は頭が良すぎます。特に風景パズルがなんで破綻しないのか不思議です。それだけ緻密に計算して制作されているってことだと思うけど……途方もないよね……

 

お話はない?

なんらかのお話要素があるのかなと思いながら進めていきましたが、ひたすらパズルを解くだけでした。偉人たちの名言(なのかな?)が録音されたアイテムが落ちてたりはするんですけど、何を言ってるのか私には難し過ぎて理解出来ませんでした…… これ、手元に集められるようにしてほしかったな。

フィールドに人間の石像とかがたくさん置いてあるので、クリアしたらなんかあるのかなと思ったんですが、それもなかったです。いや、もしかしたら隠し要素とかも完全制覇したらなんらかの変化があったりするのかしら……

 

美しい風景

風景が綺麗です。配色がビビットなので海外製感を強めに感じますが、バトルやアクションのゲームに疲れていた私には、かなり癒しになりました。思ったより広いので歩き回るのは大変ですが、走る機能があるのでそこまで苦には感じませんでした。

 

パズルだけに集中できる

このゲームで出来るのは、歩く、走る、パズルを解く、以上。あとはボートに乗るぐらいかしら。

戦ったり、レベル上げたり、アイテムを集めておつかいしたり、とかもありません。ジャンプぐらいは出来てほしかったけど。それもパズルを破綻させないためかもしれないですが。

とにかくパズルに不必要な要素は徹底的に削ぎ落とされているので、他のことは考えなくて済みます。

 

FPS視点ゆえ?

酔う……

酔います……

もちろん体質もあるとは思いますが、3D酔いしやすい人は注意が必要かもしれません。私の場合はデフォルト設定では厳しかったのですが、カメラの回転速度を落とすことで耐えられるようになりました。

 

隠し部屋の無理ゲー

一応クリアまでは行ったんですけど、隠し部屋らしきものを見つけて、入ってみたんですよね。そしたら大量にパズルが出てきて、それはいいんだけど。いいんだけど……!

最後のはズルいよ……笑

ランダムに出題されるパズルをレコードの音楽が終わるまでに全て解かないといけないんですが、何十回やっても間に合わず、私はそこで諦めました。楽しさよりストレスが上回ったらやめることにしてるので()

ランダム出題+時間制限のストレスは私には無理でした……せめてどっちかにして……

 

まとめ

あーもうこんなの解けるかよ!! ってなることも、ままあるんですが、次の日やってみたら案外スルッと解けたり、他のパズルを探索するために歩き回ったりして、結構楽しかったです。そして、なかなかの時間泥棒でした。

最初のうちは紙に描いて解いてたんですけど、やり直しが面倒になって、iPadに入れてるクリスタにメモを取りながらプレイしてました。頭の中だけで解ける人はすごい……

パズル好きな方にはもちろん、バトルやアクションに疲れた方にもオススメです。

 

以上、ゲーム『The Witness』の感想でした。

興味を持った方は、ぜひプレイしてみて下さい。

小説『死刑にいたる病』を読みました。

作品名:死刑にいたる病

著者:櫛木 理宇(くしき りう)

種類:ハヤカワ文庫

読んだ日:2022/06/02~2022/06/08

 

前半は極力ネタバレ無し、後半はネタバレ有りで書いていきます。
※前情報ゼロで作品を楽しみたい方は、ここから先は読まないようにして下さい。

 

あらすじ

”鬱屈した日々を送る大学生、筧井雅也(かけい まさや)に届いた一通の手紙。それは稀代の連続殺人鬼・榛村大和(はいむら やまと)からのものだった。「罪は認めるが、最後の一件だけは冤罪だ。それを証明してくれないか?」パン屋の元店主にして自分のよき理解者だった大和に頼まれ、事件を再調査する雅也。その人生に潜む負の連鎖を知るうち、雅也はなぜか大和に魅せられていく。一つ一つの選択が明らかにする残酷な真実とは。”

※文庫本、カバーそで部分より引用

 

感想

映画が先か、小説が先か。結構悩んだ末に、映画を先にしました。そのせいもあってか、小説のほうは外伝的な役割になってしまい、ストーリーの面白さというよりは、キャラクターの面白さを強く感じました。

以下に詳細をまとめます。

 

映画よりも詳しく描かれるキャラクターたち

キャラクターたち、特に榛村の生い立ちや人となりがかなり掘り下げられています。雅也、雅也の母、金山のバックグラウンドも詳細に描かれており興味深かったです。

ただ、榛村の登場時の描写はステレオタイプサイコキラーのイメージという感じで、私としてはあまり好感を持てませんでした。

 

榛村に対する印象

雅也が榛村と関わりのあった人物達へインタビューをしていくような形で物語が進んでいくのですが、会う人全員が榛村に対して違う印象を持っていて、それが榛村というキャラクターの根幹を表しているように感じられるのが面白かったです。

 

断ち切れない鎖

親、その親、そのまた親、と遡っていくシーンが数多く登場します。親の持ち合わせた因子、あるいは虐待などの実質的に与えた害悪が、その子供や孫にどのような影響を及ぼしたか。それらが鎖のように繋がっている印象でした。

余談ですが、文庫本になるにあたって題名が改訂されたようで、元々の題名は『チェイン・ドッグ』だったようです。読み終わってから知ったので、ちゃんと伝わってきてたんだなと思い驚きました。

 

 

※ここから先はネタバレを含みます※

 

 

心に留まった一節

”――どうして人は孤独を恥ずかしいと思ってしまうんだろう。”

同じ大学に通う程度の低い学生たちに嫌気が差し、そんな環境に馴染めない、馴染みたくもない雅也の心情が集約された一節。とても哲学的で、頭に残った言葉です。

自立した人間を「ぼっち」というポップな言い回しで揶揄し、結果的に追い出す。集団行動を重んじているようで、簡単に人を仲間はずれにしたり、利用したりする人たち。そんな人たちの輪でも、どこにも属していないよりはマシ、と考えてしまう状況もあります。一人のほうがのびのびできるけど、みんなと一緒がいい、という矛盾。特に学生時代は人と人との距離が近くて、一度コミュニティに属してしまうと、割り切るのも難しいことです。

雅也は「都市伝説だろう」と疑っていましたが、便所飯の話も気持ちは解ります。私も学生時代に一瞬やろうかどうか迷ったことがありました。でもさすがに衛生面を考えると出来なくて、なら食べないほうがマシだなと思い、食事自体を諦めたことがあります。気にせずその辺のベンチとか公園とかで食べればよかったんでしょうけど、その時は出来ませんでした。きっと孤独が恥ずかしかったんだと思います。

この「孤独は恥ずかしい」という気持ちを解決するには、孤独を楽しむことではないかなと思います。一人じゃないと出来ないこと、一人だからこそ面白いこと、というのがきっとあって、それを見つけられたらいいのかな、と。それが難しいから困るのだけれど。そして榛村は、よくない方向に孤独の楽しみを見つけてしまったわけだけれど……

 

”「不幸な生まれなら、人殺しになってもいいんですか? 違うでしょ。孤児だろうと施設育ちだろうと、犯罪とは無縁に立派に生きている子たちが世の中にはたくさんいるんです。生まれ育ちがよくないから犯罪に走ったなんて言い訳は、そういった子たちに対する冒瀆(ぼうとく)ですよ。そうじゃありませんか?」”

榛村の実母の従姉にあたる女性(ややこしいな)の言葉なんですが、ものすごい正論なんですよね。正論なんですけど、なんというか、私にはとても冷えた言葉に思えました。

もちろん犯罪を犯すのは許されることではありませんが、そういった人物の背景を一切無視していいのかというと、それもまた違うんじゃないかな、と私は思っています。加害者を養護するべき、とまでは思わないにしても、そこに至ってしまった過程を無視することは、自分の理解できないものに対する恐れと向き合うことから逃げているだけのような気がしてしまいます。しかし、そういった環境で育ったから、という安直な理由づけもまた、逃げの一種なんじゃないか、とも思います。人はなぜ人を殺すのか。殺人を犯す者とそうでない者の違いは何か。これは私が何度でも考えてしまうことです。こういった作品に出会うたび、考えを巡らせてみていますが、一生答えは出なさそうです。

 

”「あなた、ナイフを隠し持ったつもりで、お姑さんの前に立ってみなさい」”

パン屋の常連客の女性にアドバイスした榛村の言葉。殺人鬼からのアドバイスという立ち位置なので恐ろしさもありますが、案外実用的かもな、と思ってしまいました。人からナメられがちな私なので、本気でそれが嫌になったら、ちょっとやってみてもいいかもな、と。もちろん、本当にナイフを持ったりはしませんが。

 

映画と原作の違い

原作では榛村の生い立ちや人となりを追うことをメインに物語が比較的ゆっくりと展開していきますが、映画は展開のテンポがよく、エンターテインメント性が凝縮された作品となっていたと思います。

映画ではグロテスクなシーンが割と過激めだったので、文章でどんな描写がされているのかとヒヤヒヤしていましたが、映画に比べると過激さは控えめで、ちょっとだけ拍子抜けしてしまいました。

映画の感想記事でも同じことを書いていますが、金山のキャラクターデザイン(特に見た目)が大きく違うことと、ラストシーン以外は、映画も原作も物語の道筋は概ね同じなので、個人的にはどっちが先でもそんなに変わらないかなと思います。

それぞれのキャラクターをより知ってから映画を観たい場合は原作が先、何も知らずにとりあえず観たい、ちょっと意外なオチが観たい、という場合は映画が先かな、と。

 

以上、小説『死刑に至る病』の感想でした。

興味を持った方は、ぜひ読んでみて下さい。

映画『死刑にいたる病』を観ました。

映画冒頭のイメージ


作品名:死刑にいたる病
鑑賞した日:2022/5/30

前半は極力ネタバレ無し、後半はネタバレ有りで書いていきます。
※前情報ゼロで作品を楽しみたい方は、ここから先は読まないようにして下さい。

 

あらすじ

大学生の筧井雅也(かけいまさや)は、理想からかけ離れた日々を送っていた。
ある日、彼の元に一通の手紙が届く。差出人は榛村大和(はいむらやまと)。雅也が中学生時代によく通っていたパン屋の店主。そして、24人をも手にかけた連続殺人鬼。なぜ自分に手紙を? 気になった雅也は獄中にいる榛村に面会しに行くことにした。

 

面会室のアクリル板越しに自分を呼んだ理由を尋ねる雅也。榛村は、「23件については罪を認めるが、最後の1件、24件目だけは自分ではない」と訴えた。「捕まえてすぐ首を絞めて殺すなんて、自分はそんなつまらないことはしない。それに彼女は自分の好みのタイプからも外れている」と。榛村が雅也を呼んだのは、古い知り合い、かつ法学部に進学した雅也に、24件目の冤罪証明を依頼するためだった。当該の事件に違和感を覚えた雅也は依頼を受け入れ、手掛かりを求めて関係者に話を聞いて回る。

しかし雅也にとって予想外の事実が判明し、次第に榛村に影響されていく。

 

24件目は本当に冤罪なのか。
冤罪だとしたら真犯人は誰なのか。
「死刑にいたる病」とは何を意味するのか。
明かされる真実とは……

siy-movie.com

 

感想

大変よかったです。
心理描写の映像演出が凝っているところや、音の使い方が巧みで、緊迫感が続く中にもメリハリがありました。そして、なんと言っても阿部サダヲさんの演技がたまらなかったです。ただ、グロテスクな映像が苦手な人にはちょっとキツいかもしれないです。
以下に詳細をまとめます。

 

目が真っ黒のサダちゃん最高

「この瞳に踏み入れると、沼」と、CMで流れていましたが、まさに、です。光を一切反射しない瞳、最高でした。一見、清潔感があって人の良さそうな空気を纏っているのに、話が進むにつれてどんどん不気味さが際立っていきます。拷問を行うシーンでも変にニヤニヤしたりせず、観察するような表情だったのがたまりませんでした。

 

余談ですが、こういう役を演じる方は、「魅力的」、「異常」というワードに引っ張られるのか、日常シーンでも変にゆったりとした口調になったり、痛めつけるシーンでニヤニヤし過ぎたりする役者さんが結構いらっしゃるイメージがあります。もちろんそれでいい時もあるにはあるのですが、私個人としてはあまり好きじゃないです。『死刑にいたる病』では、普段は至って普通の、なんなら普通以上に善い人でありながらも、裏では飄々と事を楽しんでいる異常性が見事に表現されていたと思います。

 

現在放送中のドラマ『空白を満たしなさい』でも、阿部サダヲさんはサイコパス系のキャラクターを演じていますが、全く違う方向性の異常さを表現されていて、本当にもう最高です。ドラマもぜひお楽しみください。

www.nhk.jp

 

心理描写の妙

重要なシーンでの映像演出が面白いです。
物理的に隔てられていても確実に心を通わせている、今彼は考えを見透かされている、というようなことが視覚的に伝わってきます。わざとらしいと感じる人もいるかも知れませんが、私は好きでした。

 

グロテスクから逃げない

榛村は24人も殺しているので、シーンとして盛り込まないわけにはいかないですよね。詳細は書きませんが、とにかく痛そうでした……
監督は『孤狼の血』シリーズの白石和彌さん。『孤狼の血』でも、結構エグいシーンがあったと思うので、そういうシーンを撮るの得意なんだろうな……


まとめるに当たって調べるまであまり気にしてなかったけど、あれでPG12なんですね。 指定されてるからには大丈夫……なんだよね……? 結構ハードだぞ?

※PG12→年齢制限区分の一つ。小学生以下(12歳未満)の子供が視聴する場合、保護者の助言、指導が必要となる。

 

 

ここまでは極力ネタバレを避けながら、感想をまとめました。ここから先はネタバレを含めながら感想をまとめていきますので、まだ観ていない、知りたくない、という方は、以下は読まずに作品をお楽しみ下さい。

 


※ここから先はネタバレを含みます※

 

 

感想の追記

映像演出

面会室でアクリル板越しに話しているのにも関わらず、手を握ったりそばに立っていることで心の近さを表現したり、アクリル板に反射した榛村の顔が雅也の顔と重なることで、雅也も榛村に洗脳され始めていることを表現するなど、視覚的な工夫が数多く見られます。そういうの、好き。

 

結局、24件目の真犯人は誰?

私の中では、「はっきりしない」というのが結論です。
十中八九、真犯人は榛村なんじゃないかと思われますが、白黒どちらも、それを指し示すような証拠は物語の中には出てきません。金山の告白が真相であると裏付けるものもなく、榛村も、「本当は自分がやった」とは明言していません。また、雅也が出した結論はあくまで彼の推測であり、こちらも証拠がないため、推測の域を出ないことになります。「榛村が真犯人である」とも、「真犯人でない」とも言い切ることが出来ないため、結局どっちなんだろう、と考えを巡らせることになる作品でした。そして、それをぐるぐると考えることも「病」に含まれているのかもな、と思っています。

 

題名の「病」とは

映画版における私が感じた「病」は、「誰もが特別になりたがっていること」、「榛村に影響され、自分の何かが変化すること」でした。

 

前者について。もしかしたら自分は誰もが知るあの連続殺人鬼の息子かもしれない、そのことに戸惑いながらも間違いなく期待していた雅也。良くも悪くも、普通から外れることは恐れもありますが優越感があるものです。そして、なりたくてなれるものでもない。無意識に誰もが選ばれし特別な人間になりたがっている。それ故に冷静さと客観性を失い、過ちを犯すこともある。そういった意味での「病」かな、と思いました。

 

そして後者について。榛村は関わった人間の人格に何らかの歪みを生じさせています。自分の父親が榛村だとしたら自分も人を殺せるかもしれないと、本当に人を殺しかけた雅也。榛村に相談し、生まれてすぐに死んでしまった我が子を焼却処分すると決めた雅也の母。痛い目に遭いたくない、榛村から見捨てられたくない、と彫刻刀とカッターナイフを手に傷付け合った金山兄弟。「好きな人の身体の一部を持っていたいという気持ちが解る」と言った灯里。榛村に関わると心を病む。このことも題名の「病」に含まれていると思います。

 

お気に入りのシーン※順不同

悲鳴すら音響効果に

土砂降りの山中、手足は折られて肉をえぐられ、右手首は今にも千切れそうな状態になりながらも、必死に犯人から逃れようと泥の中を這いずる被害者の女性、根津かおる。目の前の木に手をかけるも両足を掴まれ引きずり戻されてしまいます。この辺りで音が徐々にフェードアウトし、無音になった後、女性の悲鳴が、悲鳴の途中から響くというシーン。恐ろし過ぎて痺れました。こんな演出の方法があるんだと感動しました。

 

無機質に人を傷付ける

「今日はどっちが痛い遊びをしてくれるのかな」という榛村の問いに、金山兄弟が揃ってお互いを指差し合います。そして、金山が弟の太ももに彫刻刀をなんの躊躇もなく刺すシーン、怖過ぎです。
信頼、依存、恐怖がそろえば、たとえ赤の他人からの命令でも血の繋がった家族に躊躇なく危害を加えられるという精神状態。とても想像し難いです。

 

原作と映画の違い

映画を観た後に原作を読んでみました。
映画では、雅也が24件目の事件を追うことをメインに、結果的に榛村の過去を追う、雅也の母親と榛村の関係を知る、榛村に影響され本当に人を殺しかける、など、割とテンポ良く展開が訪れるのに対し、原作はどちらかというと、榛村の生い立ちや人となりなどのバックグラウンドにフォーカスされ、榛村と関わりのあった人物達へインタビューをしていくような形で物語が進みます。
それはそれで面白かったのですが、展開があまり感じられず、エンターテインメント性は映画のほうが濃縮されていたかなと思います。
金山のキャラクターデザイン(特に見た目)が大きく違うことと、ラストシーン以外は、映画も原作も物語の道筋は概ね同じなので、個人的にはどっちが先でもそんなに変わらないかなと思います。それぞれのキャラクターをより知ってから映画を観たい場合は原作が先、何も知らずにとりあえず観たい、ちょっと意外なオチが観たい、という場合は映画が先、かなぁ。

 

原作についても別途記事を書こうかな、と思っているので、詳しい感想などはそちらでまとめたいと思います。

 

以上、映画『死刑にいたる病』の感想でした。
興味を持った方は、ぜひ劇場へ。

上映期間は残りわずかかと思われますので、ソフト化を待つのも手です。

映画『ブラック・フォン』を観ました。

グラバーのイメージ


作品名:ブラック・フォン

鑑賞した日:2022/7/9

 

前半は極力ネタバレ無し、後半はネタバレ有りで書いていきます。

※前情報ゼロで作品を楽しみたい方は、ここから先は読まないようにして下さい。

あらすじ

舞台は70年代アメリカ。コロラド州のとある町では子供の失踪事件が相次いでいた。主人公の気弱な少年フィニーはある日、マジシャンだという男にマジックを見せると唆され、黒いバンに無理やり押し込まれてしまう。

気がつくとフィニーは地下室に閉じ込められていた。マジシャンの男は相次ぐ子供失踪事件の犯人、連続誘拐魔”グラバー”だったのだ。

部屋の中には鍵のかかった扉、鉄格子の窓、そして断線した黒電話。

 

ジリリリリリリリリ

 

鳴るはずのない電話が鳴り響く。

受話器を取ると、聞こえてきたのは死者たちからのメッセージだった。

 

一方、フィニーの失踪後、彼の行方を示唆するような夢を見た妹のグウェン。グウェンには不思議な夢を見る力があった。酒浸りの父親は信じようとしないけれど、グウェンはこの不思議な夢の力を通じて兄の行方を追うことにする。

 

果たして、フィニーはグラバーから逃れ無事に脱出することが出来るのか。

グウェンは兄を見つけ出し、救うことが出来るのか。

仮面の男が不気味に笑う。

 

詳しい情報は公式HPをご確認ください。

www.universalpictures.jp

 

感想

全体的に「よく出来ているなぁ」という印象ですが、期待を超えるほどの面白さではなかったかな、というのが正直な感想です。それでも好きな部分はたくさん見つけることが出来た作品でした。

以下に詳細をまとめます。

 

綺麗にパズル組み上がったなぁ

物語の構造が整っていて、パズルのピースがカチッとハマった瞬間に、おおー! となるタイプの映画です。ただ、この手の作品をよく観ている人だったり、ビデオゲーム好きな人だったりすると、もう少し盛り上がりが欲しいと感じると思います。

とはいえ、全く面白くないというわけではなく、物語の仕掛けはもちろん、子供同士の友情、兄妹の絆、不思議な能力、キャラクターデザインが特徴的な誘拐犯など、私にとっては好きな部分がたくさん見つけられる作品でした。

(「ものすごく面白かった」という誰かの感想や、余計な情報を入れてしまったこともハードルが上がってしまった原因の一つかもしれません)

 

スタンド・バイ・ミー』と『IT/イット』の雰囲気

少年期独特のなんとも言えない郷愁と、誘拐犯や幽霊、怪奇現象に対する恐怖が掛け合わさったような雰囲気でした。私はこの要素を組み合わせたタイプの作品はあまり観たことがなかったので、そこはかなり気に入っています。

原作者はジョー・ヒルという方で、スティーブン・キングの息子さんだそうです。映画を観る限り、完全に遺伝子を受け継いでいるのを感じます。

 

ホラーとしてはビックリ系

ビビりなので、サイコスリラーを劇場で観るのは不安でしたが、そこまで怖さはありませんでした。大きな音でビクッ、ショッキングな映像でヒッ、てなるタイプのホラーです。そのせいもあってか、サイコスリラーを謳うにはちょっと物足りなさがありました。私の勝手なイメージですが、「サイコスリラー」と言われると、犯人の異常性や残虐性、それに追い詰められていく被害者の心情や状況などがメインになると思っています。『ブラック・フォン』では、どちらかというと子供たちの頑張りがメインに感じられ、あまり犯人どうこうという感じではなかったです。なので、サイコ感を求めて観に行くと味がしづらいかもしれません。

どうでもいいけど、ポスターの「サイコ」と「スリラー」の間に「・」が打ってあることに違和感があるのは私だけですか。そうですか。

 

 

ここまでは極力ネタバレを避けながら、感想をまとめました。ここから先はネタバレを含めながら感想をまとめていきますので、まだ観ていない、知りたくない、という方は、以下は読まずに作品をお楽しみ下さい。

 

 

※ここから先はネタバレを含みます※

 

 

 

 

感想の追記

言ってしまえば脱出ゲーム

床に掘った穴、千切れた長い電話ケーブル、外れてしまった鉄格子、ダイヤル錠の番号、冷凍庫の生肉、そして土を詰めた受話器。最終的に全部使ってグラバーを倒し脱出します。

作品内に散りばめられた要素を巧く回収しながら敵を倒して脱出するという構造はビデオゲームにはよくあることで、そういったものに馴染みがあると、「めっちゃ面白かった!」とはなりにくいです。「なるほど、よく出来てるなぁ!」とは思えるのだけれど。慣れてしまうのも考えものです。もちろん物語の本質は仕掛けだけではないとは思いますが。

 

「幽霊=怖いもの」ではない

「幽霊=怖いもの」というのが一般的な概念ですが、幽霊が自分の大切な人だったり、助けてくれる/助けを求めている存在だと認識できれば、怖さは和らぐのかもしれない、と最近よく思います。

他作品のネタバレを防ぐために、ここでは作品名を挙げませんが、序盤では幽霊は怖いものとして描かれ、中盤から終盤にかけて協力者や助けを求める存在として描かれる作品をいくつか観たことがあります。『ブラック・フォン』もそちら側の作品です。演出は充分怖いし、実際に幽霊が出てきたらチビるけど。

 

お気に入りのシーン ※順不同

ロビンと一緒に

グラバーに誘拐され地下室に閉じ込められてしまった主人公フィニー。被害に遭い亡くなった子供たちから電話がかかってきて脱出のヒントをくれます。そんな中、いろいろやったけど結局逃げられそうにないと絶望したところに、行方不明となっていた親友のロビンから電話が。やはり彼もグラバーの餌食になっていたのです。もう犯人を力づくで倒すしかない。ロビンはフィニーに戦い方を教えます。

ステップでかわして、受話器を振る。

この動作を二人で一緒にやるのですが、ここがなんともいいシーンでした。なんとなく『ベスト・キッド』を思い出させます。(ジャッキー・チェンのしか観たことないけど)

仲の良さが伝わる反面、ロビンはもうこの世にはおらず、またフィニーにはロビンの姿が見えていません。切ないな……

 

グウェンのメンタルが強すぎて

妹が本当にクール過ぎる。

盾となってくれていたロビンが行方不明となり、いじめっ子たちに追いかけ回され暴行を受けるフィニー。それを見つけたフィニーの妹グウェンは、いじめっ子たちに飛びかかるのですが、すごい勇気と気迫。上級生相手に殴りかかるなんて、なかなか出来ることではありません。

大切な人を守るために困難に立ち向かっていく人間の姿は、いつでも心打たれます。

 

そして、父親に暴力を振るわれている最中に反抗できるのもすごい。

まだ中身がたっぷり入っている酒瓶を手に、父親を脅します。

「次叩いたらこれを落とすから!」

「やってみろ、倍の強さで叩くぞ」

グウェンが本当に酒瓶を落とし、父親が狼狽する瞬間のシーンがとても好きでした。

 

気になったこと

なんで裸?

グラバーは捕まえた少年がミスをすることを望んでいます。地下室の鍵をかけ忘れたふりをしておいて、それを好機と見た少年が出てくるのを待ち構えているのです。

それはいいんだけど、なんで上半身裸なんだろう。お仕置き用のベルトを持って椅子にどっしりと腰かけている様子は滑稽というかなんというか。いやある意味怖いけども。そういうプレイなのかな。

 

あ、そっちなの?

グウェンの夢の力によって辿り着いた先は、被害に遭った子供たちが埋められている空き家でした。「ああ、お兄ちゃんを見つけるんじゃないんだ!?」ってなりました。いや全然いいんだけど。

電話や夢を通してヒントをくれていた少年たちの目的は恐らく、フィニーに「グラバーを倒してもらうこと」と、グウェンに「自分達を見つけてもらうこと」だったのだろうと思うので、うん。いいよ。

 

「予知夢」でいいのか?

宣伝ではグウェンのことを「予知夢を見る少女」と言っていますが、よくよく考えると「予知夢」って表現は合ってるのかしら。「予知夢」というのは、これから起こる未来が見える、つまり予知する夢のことだけど、グウェンの場合、事が起こってから関連する夢を見ているので、微妙に「予知夢」からはズレているような。

とはいえ、他に丁度いい言葉が思い当たるわけでもないし、グウェンが未来に見に行く景色を見ている、と捉えれば「予知」と言えなくもないような……?

まあどっちでもいいんですけどね。

 

心配事

グラバーを見事に打ち倒し、家族の元へと帰ることが出来たフィニー。ハッピーエンドの大団円、と思いたいところですが、結局フィニーは人殺しになってしまいました。正当防衛に含まれそうではあるけど、一線を越えた者になったことは確かなわけで。

また、学校で一目置かれる存在になったこと、父親から虐待を受けていることも不安の種に思えます。好ましくない方向へと目覚めないといいけれど。

 

といった感じで、『ブラック・フォン』を観た感想は以上です。

興味を持った方は、ぜひ劇場でお楽しみ下さい。